◆−LUNA−神代 櫻(9/18-16:11)No.11917
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11917LUNA神代 櫻 9/18-16:11








わたしがリナ≠ニいう女性に出会ったのは、四年前。丁度わたしが十二歳の誕生日を迎えた頃だった。
背はあまり高くなかったし、年上の女の人の割にはなんだか大人っぽいな、という感じもなく、どこか幼い印象が残った。けれどもその人の緋色の大きな瞳は、すごくきれいだな思ったことはよく覚えている。別にきらきら潤んでたとか、色自体が素晴らしくきれいだったというわけではなかったが、他の人の眼とは違う何かが、その人にはあったように思えた。
「おっちゃーん! 取りあえず店のメニュー端から順にお願いねー!!」
わたしが聞いた彼女の第一声が、それだった。わたしは団体のお客さんが入ってきたのかな、と思って声のした方を見たのだが、そこには小柄な女の人が一人きりで座っていて、一体誰が食べるのかと、首を傾げながら仕事を続けようとした。けれども店の主人のウェッタさんは、お客さんをよく確認していなかったらしく、てきぱきと厨房へ注文を告げていた。
「こらルナ! さっさと運べ!!」
次の瞬間怒鳴られて、わたしは弾かれたように、他のお客さんに注文の料理を運び始めた。食堂のウェイトレスはわたしの他に五人いたけれど、みんなわたしより年上で、仕事もはやかった。わたしは精一杯たくさん動いて追いつこうとしたけれども、なかなかそれができない。そうしているうちに、ウェッタさんからお皿をいっぺんに五つも渡されてしまって、わたしは仕方なしに左に二皿、右手に三皿を持って、言われたテーブルへと歩いていった。
いっぺんに四皿もつことはできるけど、五皿はあまり慣れてなくて落とさないよう必死だった。もっていく先はあの小柄な女の人のところだ。
「ちょっとまだー? おっそいよ!」
彼女は幾分か待ちくたびれた様子で、わたしには気付かず厨房の方へと催促の声を上げている。だから余計に焦って、ちょっと急いだ為にバランスを崩してしまい…。
「!」
減給だ。その言葉がぐわんぐわんなり響いて、そのままわたしは諦めて目をつぶった。けど……
「……?」
皿の割れる音がなくて、あれ、と思いながらそぉっと目を開けてみた。
「…ご、ごめん。よかったらお皿…テーブル(うえ)に上げてくんないかな」
右に二皿、左に一皿。残り二皿は右足でと、咥えて支えていたのを見て、わたしは思わず呆然としてしまった。お皿を受け止めたのは客の女の人だった。彼女はわたしが急いで料理をテーブルへ並べると、満足したように目を輝かせ
「いらっしゃーい、あたしのお昼ご飯たちぃー♪ んふふー、ではさっそく…」
「あの…」
「んあ?」
わたしはさっそく手にしたフォークとナイフで、魚のソースがけを今まさに口に運ぼうとしたその人に、思わず声をかけると
「…これ、あなたが全部食べるの?」
そう聞くと、彼女は怪訝そうな面持ちでわたしを見た。
「そうだけど?」
「メニュー全部って、あと十五品あるのよ。それも全部、あなたが食べるの?」
「うん。」
わたしは失礼ということは知っていたけれど、思わず首を傾げて
「…《お腹いっぱい》っていう言葉、言ったことある?」
「なにが言いたいのよ、アンタ…」
口を尖らせて、少し不機嫌そうにそうすごんでくる彼女に、わたしはぶんぶんと首を振る。すると、またウェッタさんから怒鳴り声が聞こえた。
「ルナぁぁぁ! さっさと運べって言ってるだろ!? クビにされたいか!!」
わたしはびくっ、と体を震わせると、慌てて厨房へ戻ろうとし
「ねえちょっと、」
呼び止められてぱっと振り返った。
「あんた、“ルナ”って名前なの?」
こっくりと黙って頷く。すると彼女は、へぇ…と少し驚いたように、けれどもどこか懐かしいものを見るような緋色の瞳で、わたしのことを見ると
「いい名前ね…」
ふっと、優しく笑った。わたしは自分の名前なんか誉められたのは初めてで、どうしていいのかちょっと慌ててしまった。
「誰がつけてくれたの?」
「さあ、多分両親じゃないかしら?」
「?」
「ルナぁぁぁぁぁ!! てめえ俺の店でタダ働きする気かぁ!」
その人はわたしの言葉に不思議そうな顔をしたようだったが、すぐにまたまた怒鳴られて、ごゆっくり、と告げるとすぐに厨房に走っていった。
「…あの名前にはウェイトレスっていうのが、世の決り事にでもなってるのかしらね…」
後ろからそんな声が小さくぽそりと聞こえたけれど、別に気に留めなかったし、第一仕事で頭がいっぱいで、そのままウェッタさんに怒鳴られに…もとい次の料理を受け取りにいった。
結局その女の人は、メニュー全部の二十皿をすっかり平らげると満足顔で帰っていった。ウェッタさんもあんな客は初めてだ、と感心していたけれど、いつもより稼げたと言って、いつも半分だったわたしの晩御飯を一人前に増やしてくれた。


しん、と静まり返った夜中。空には濃紺の天幕がかかっていて、月と星が小さく飾りのように縫い止められている。
わたしはいつものように住み込みで働いているウェッタ家の屋根裏部屋を抜け出すと、独り町外れの林の近くを歩いていた。風で不気味にざわめく木々の音を耳にしながら、そのまま進んでいくと…
「……あれ?」
いつもの場所で待ち構えているはずの人々が、今夜は何故か少し煤けながら倒れているのを見て、わたしは疑問の声を上げていた。
それなりに成り金主義だったここの人々は、身につけていたはずの金品を根こそぎ取られて、奥の金庫もからっぽになっている。
「………」
チャリン、
奥の方から聞こえてきた金属音。ここで何があったかの大方の予想はついたけど、わたしは首を傾げながら明かりのもれる奥へと進んでいき――
ひゅ…
風の切る音。警告のシグナルが頭で鳴った。
視界に捉えた銀の光に、わたしは半歩身体を後ろへ引くと、予測した方へ蹴り上げ――
「あ…」
手応えはあった。けれどもそう感じたすぐ後に、わたしは相手の顔を見て思わず小さく声を上げた。それは向こうも同じだったようで、少しばかり驚いた顔をすると
「ごめんごめん。まだ残党がいたのかと思ってさ。」
へへ、と笑って抜き放った短剣を鞘に仕舞い込むと、相手はぱさりと栗色の髪を跳ね除け、どさりとその場であぐらをかくように座った。周りには金貨の山々と宝石の数々。その中には見慣れたものもいくつかあった。
「あの人達、あなたがやっつけたの?」
私が聞くと彼女は持参してきたらしい麻の袋に、ひとつひとつ軽く目を通しながら詰め込みつつ、どこかきまり悪そうに
「んー、ん…まあね。」
「どうして?」
「趣味だから。」
「…………。」
予想外な答えにわたしは黙ってしまった。その間にも彼女は作業を続け
「あんたこそ何しに来たのよ。真夜中の盗賊のアジトに、普通子供が一人で来るもんじゃないわね。」
「子供ならお互い様でしょ?」
ぴくり
彼女は眉を跳ね上げると、金貨から目を離してわたしの方を見上げた。緋色の瞳が真っ直ぐにこちらを捉えている。だからわたしもまっすぐに、彼女の眼を見返した。べつに怒っているとかいった陳腐な感情はなかった。けれどもわたしは一応軽く目を閉じると
「気に障ったなら謝るけれど。」
彼女は笑った。
「いらないわ。先に余計なこと言ったのはこっちみたいだしね。」
返されるはウィンクひとつ。そしてそのままわたしに座るよう促すと、後ろに置いてあった荷物から小さな包みを取り出し
「夜食もってきたのよねー。食べない?」
言ってサンドイッチを突き出してきたのだった。

「――ここの盗賊、毎晩わたしに剣を教えてくれてたの。」
ぷぴゅぅっ
リナと名乗った彼女の反応はといえば、サンドイッチと一緒にもってきたらしい紅茶を、飲み込む前に遠くに向かって吐き出すことだった。
「は…はあ!? あんな弱っちい奴等に何を学んでたっての?」
「首領が元騎士団にいたらしくて、正面から戦えばそこそこ強かったよ。まあ…寝てるところを呪文でふっ飛ばしたなら、話は別だけど…」
「う゛…」
多分…いやはっきりいって図星だったと思う。リナは苦い顔をすると、ぱっと話題を切り替えるようにやや上ずった声で
「で、でもけっこう良心的な盗賊よね。毎晩剣の手ほどきをしてくれるなんて。今時珍しいっていうか…」
「多分ただのロリコンだったんだと思うよ。目がたまに怪しかったし。」
「………。」
今度は彼女が黙ってしまった。そしてやはり再び話題を転がそうとして
「あー…、それでなんであんたは剣なんか習ってるわけ? ウェイトレスなんてそんな体張る仕事じゃないでしょ。」
わたしは言うべきかどうか少し考えた。けれども別に旅人の一人に言ったところで何がどうなるわけでもないと思って
「魔道士になりたいの。」
それだけを言った。行きずりの人なのだから、詳しい説明なんて煩わしいだけだ。だからわたしは要点だけをかいつまんでいくつもりだった。
「いずれ旅にでようと思ってる。ウェイトレスの仕事は、今はそうしないと食べていけないもの。ある程度の力がついたら、出ていくつもり。」
「ふうん…」
リナの答えは意外にあっさりしていた。他人の個人的なことには、あまり干渉しないようしているのかもしれない。聞きたいのなら別にそれでも構わなかったが、それ以上なにも言ってこなかったので、わたしも無言でもらったサンドイッチを食べていた。そして
「…さっきの蹴り…。反応と対処はよかったけど、威力が足りないのね。だからあたしも短剣を放さなかったんだし。もう少し腰をおとして…あと体の安定感がまだ悪いわ。」
わたしは顔を上げて彼女を見た。傍らに浮いた明かり(ライディング)に照らされて、栗色の髪が淡く揺らめいている。
「…ありがと。」
少し笑っていたかもしれない。呟くとわたしは、入り口で未だ倒れている盗賊たちに目をやった。全治二ヶ月といったところであろうか。付け加えて身包みを剥がされている為、経済的にも復帰はかなり困難にみえる。
(悪くいけば解散…)
思い、ふと別のことを思いついて、リナに声をかけた。
「……あなた、魔道士なんでしょ?」
「そうよ?」
「盗賊とはいえ、一応今のわたしの先生だっんだもの。ちょっとでも責任を感じてくれるなら、魔術の抗議でも聞きたいな。」
すっと目を細めるわたしの言葉に、彼女が少しだけ考える。そして手にしていたサンドイッチを全部食べてしまうと、指についたソースを舐めながらニッと笑い
「徹夜覚悟?」
「そのつもり。」
わたしも今度ははっきりと笑って答えていた。


「――向いてんじゃない? 魔道士。」
いくつかの講義内容を繰り返し繰り返し、頭に叩き込むように呟いていたわたしに、リナはそんなことを言った。
「お世辞ならいらないよ。」
「あたしだった言いたくないわよ。んな意味のないもん。」
わたしは即答したが、彼女はいたって変わらない口調でそう返してきた。
月が大分傾いて来ている。あと三時間程で夜が明けるくらいだろう。
「実際、吸収がいいし。頭の回転も悪くないわ。だいたいあたしの抗議なんて、大抵の人間はわけわかんないまんま終るのよ?」
徐々に明かりを失ってきた明かり(ライディング)を再び燈しながら言うリナ。わたしはそんなものかと思いながら、適当に返事を返していた。
「…本当は魔道士協会で仕事を探したかったんだけど、人手は足りてるからって追い返されたの。魔術は習いたかったけどお金はないし。おかげでお客さん捕まえてちょっとずつ教えてもらうことになったから、随分正しいのと間違いがごちゃ混ぜになってた。ありがと。助かったよ。」
軽く礼を言うと、わたしは少し延びをしてから立ち上がり
「悪かったね。こんな時間まで突き合わせることになって。」
「いいわよ。食堂まで送ったげる。住み込みなんでしょ?」
軽く笑うと彼女も立ち上がった。
「――楽しい? 旅。」
帰りの道は月明かりに照らされていて、来た時と同じで、歩くのにそんなに苦労はしなかった。
「んー? そーねー。楽しすぎて仕方ないってことはないけど、基本的に楽しいんじゃないかしら。やめたいって思ったことはないしね。」
何気に聞いたわたしの問いに、リナが大荷物だというのに大満足、というような顔でそう答える。
「旅は出会いが一番素敵、って聞いたけどホント?」
これには少し難しい顔をした。どうも今までに出会ってきた面々を思い出してるのだろう。暫く見ていたけど、その顔はだんだんと苦悩に溢れてきている。
「……まあ、素敵っていやあ素敵だけど……。出会って後悔したことは……多分ないわ。いい仲間もいたしね。」
後半以外は無理のある感じの答えではあったけど、わたしは敢えて突っ込まずにいてあげた。あの顔は相当、奇人変人と出くわしたに違いない…。
風が夜の森を、外界への警戒音のようにざわめきたてている。
雲のでない晴れた夜空を見上げながら、わたしはいろいろと思いを巡らせつつ歩いていたのだが
「――でも、殺されてもいいって思った相手は…いるかな。」
暫く間を空けて聞こえてきたそんな言葉に、わたしはぱっと振り向いていた。
緋色の瞳に空の星がいくつか映る。彼女はわたしと同じように上を向いて歩いていたけれど、わたしが立ち止まったのに気付いて、自分も足を止めた。
「死んでもいいと思うの?」
わたしは聞いた。
しかし彼女はすぐには答えずに、軽く息を吐くと
「そうは思っちゃいないわ。」
よっと、肩にひっかけた荷物を背負い直す。そして疑問の面持ちで見上げるわたしに、少しだけ笑みを投げかけると、再び歩き出し
「死んでいいなんて思ったことはない。ただ、全身全霊でぶつかって思うように戦ったなら、それで負けたとしたって…そいつが相手なら悔いはないってコトよ。」
「他の人なら悔いはあるの?」
「そりゃーね。価値観が違うから戦うんだし。倒す、って思った相手に殺られちゃぁ、悔しいどころの話じゃないわよ。」
わたしは少し考えた。
《殺されてもいい》と《死んでもいい》に、そんなに違いがあっただろうかと、思わず悩んでしまう。いや、それよりなにより…
「殺されてもいいって思う相手と、真剣に戦える?」
「戦えるわよ。」
彼女は即答だった。
眉を寄せて再び考え込むわたしに、ふっと小さく笑うと、トントンと肩を叩いて
「何も好んで戦おうとは思わないけど、和解なんて絶対ムリだし、互いの存在を否定も肯定もできないなら…、ホンキでぶつかる他にどんな方法がある?」
《ない》というつもりで首を振るはずだった。
それは相手が問いながらにもこちらに求めている答えだったろうし、わたしは別にそこで頷いても全然構わなかった。けれど…
「――魔族なの? その相手って…」
思いついた瞬間、そう聞いていた。
彼女がわたしを少し驚いたようにして見る。
文献で読んだことしかなかったし、実在するという証拠を誰が公表したわけではなかったけれど、各地に散らばる伝説には時々でてくるし、まったく存在しないモノというわけではないだろうな、とは思っていたけれど…。
「勉強家ね。」
「…だって、《互いの存在を否定も肯定もできない》なんて、ふつう人間には使わないもの。…そんな言葉。」
リナは笑ったままだった。
気付かれて慌てた様子はなくて、気軽に頷く感じだ。
わたしは言ってから、言葉にしてはいけないことだったのかな、とひやひやしていたけれど、彼女のその態度に内心ほっとして、笑って返した。
「でもいいね。そういうのは。」
「?」
月明かりに、こちらを不思議そうに見る瞳が淡く光った。
「きらきらしてる。そう思いながら生きていられるって、きらきらしてるから、いいね。」
「…そかな。」
「そうだよ。わたしもいつか……」
――そうやって生きていきたい…
風がまた吹いた。澄んだ空に吸い込まれていくように、舞い上がる。
少しだけ目を閉じて、緩やかになびく自分の黒髪を抑えながらそうして歩いていた。
(いつか――)
「ああ、やっと見つけました。」
ゆっくりと、瞼を開けて…
「…ゼロ…ス?」
リナが低く、そして驚いたようにして呻くのが隣りで聞こえた。
暗い暗い、夜とは違う漆黒が目に映る。
まっすぐに切り揃えた黒髪に白い肌が、キレイな人だな、とわたしに思わせた。いや、さっきまで話題にのぼっていたのだ。不意に虚空から現れたその存在には、なんとなく見当がついていた。
「おやおや、いく先々でよくお会いしますねえ、リナさん。」
「? あたしに用があるわけじゃないわけ…?」
拍子抜けした反応。けれどもそれは一瞬にして打ち払われ、彼女はわたしをばっ、と見ると、そのまま視線はずらさずに
「…どうして………?」
かすれた声で問うていた。それは一体、目の前の彼に聞いたのか、わたしに聞いたのかはよくわからなかったけど。
ともかく、彼はリナには取り合わずに、わたしの方に目を向けると
「…写本。消滅してしまいたいのですが、悪く思わないでくださいね。」
静かに、冷たい声でそう聞いて来た。
「しゃ…ほん……?」
わたしも魔道士の志願者だ。写本といえば、なにを指すかくらいはわかる。けれども、そんなものすごいモノをわたしが扱えるわけもない。だからわたしは、素直に首を傾げると、真っ直ぐに彼の深い紫黒の眼を見
「わたしは知らない」
ぽつりと答えた。
薄く笑っていた表情が、その一言で少し困ったものへと変わる。
「そういうはずはないのですけれどもねえ…。」
「わたしはあなたがどういった存在なのか、全然わかってないわけじゃない。本当に知っていたら、すぐにでも差し出すでしょう。つまらないことで死にたくないもの。」
わたしだって本気だった。彼がさっきリナの言っていた相手だとしたら、彼女に頼ってもあっさりとどうにかできるものじゃないとわかっていたから、絶対に彼に強硬手段は取られまいと思った。
「ちょっと、どういう事よ! わけくらい説明していってもいいんじゃない!?」
リナがわたしと彼の前に大きく進み出る。夜風に煽られた髪が一度大きく舞い上がり、どうしてか、その時彼女が大きく見えた気がした。
でも同時に、なんだか彼女に守られてる気がして、それはすごく嫌だった。
「リナ。いいよ。」
「よかないわよ! あんたはさがってて!」
「子供はお互い様なんでしょ?」
リナが思わず言葉を呑んだように見えた。わたしはそれだけで少し満足した感じで、彼女を押しのけると、再び彼を見上げ
「ルナと申します。」
出来るだけ強い声で、自分の名前を言い放った。
(わたしは今からこの人と話をするんだ。だから絶対に、対等な立場で話したい)
そんな事を思っていた。
彼はそんなわたしの態度に少しばかり笑うと、ゼロスです、と軽く礼をしてみせる。
身に覚えのないことで引いたりしたくなかったし、関係のないことでリナに代弁してもらおうなんて思わなかった。
「わたしには写本に心当たりはないし、あなたに探される理由もない。けれどもし急がないのなら、理由を聞かせて欲しい。それでもし、わたしに心当たりがあった時は、望み通りのものを渡すわ。そしてなかった時は、何もせずに引き取って欲しい。」
視線は彼から一度も離さなかった。
もしかしたらその時のわたしは、リナに感化されていたのかもしれない。彼女を見て、ああやって、強い瞳の持ち主になりたいと…思ったのかもしれない。
黒の法衣がゆるりと風になびいている。彼は暫くの間無言でわたしを見ると、
「ディノス孤児院はご存知ですね?」
「知ってるよ。十年そこにいた。」
もしかしたら視線は外さなかったんじゃなくて、外せなかったのかもしれない。声が震えいてるのかどうかもよく分からずに、わたしは答えていた。
 相手の神官は、わたしの答えに満足げに頷くと、今度はリナの方へと向き、まるで解説するかのように、抑揚のある声音でしゃべりはじめた。
「実は当初、写本は何故かその孤児院にありましてね。二年ほど前にそこへ赴いたのですが…」
「写本は誰かに持ち去られてたって?」
リナがわたしの後ろで後を継ぐように聞きかえす。強く見据える緋色の眼が、すぐに想像できた。
彼はそんな彼女に、くすりと小さく笑みをこぼすと
「半分正解です。どうも孤児院を開いていた方は、裏でさらにそのコピーをとって、高値で売っていたようでしてね。書き移したものもそこにいくつかあったので、消し漏れがないよう、丸ごと燃やしたんですよ。」
さらりと、そんな言葉を発していた。
――怖い。
感じたのはそのひとつの感情だけだった。
これが凶悪な顔をして、下賎な言葉を使いながら圧倒的な力を誇示する相手だったら、どんなに気が楽だったろう…。そんなことさえ思いながら、わたしは彼を見ていた。
それがさも日常的生活の一部であるように、まるで世間話でもするように、温和な微笑みを浮かべて、何故…こんなに柔らかな声で言うのだろう……?
「燃やした…て、あんたまさか……」
「ええ。孤児院を丸ごと。」
ぐっとリナの拳が握られていたのを、わたしはしっかりと見た。
孤児院が燃えた日のことはよく覚えている。丁度その日かくれんぼをしていて、街の近くの林に潜り込んでいたのだ。
「それで後は売られたコピーも抹消して、本当なら仕事は終ったはずだったんです。けれど…」
「けれど?」
聞き返すのはわたし。彼は童話でも語るように、ゆるやかに…淡々と話を続けた。
「彼――孤児院の持ち主ですが――どうも紙に書き写したのとは別に、その一部を焼き印…なんかにしたらしくて……」
困ったもんです、と付け足されると、はう、とわざとらしい嘆息が漏れる。
「僕も迂闊でしたよ。まさか…孤児院にいた子供たちの一部に、その焼き印を押していただなんて、つい最近まで思いませんでしたから。おかげで獣王さまにどれだけ叱られたことか…。」
「…………。」
リナがとっさに引き寄せるようにして、わたしの肩に手を置いた。
わたしはただ無言で聞かされたことを、もう一度胸の中で繰り返すと、ふと、孤児院にいたわたしを含めた何人かは、赤ん坊の頃に火事で背中に大きな火傷を負ったんだよ、と先生に言われたのを思い出した。人にはあまり見せるものじゃない、と言われていたから、自分ではそれがどんな火傷なのか、見たことはなかったし、無理に鏡で自分の背中を見ようとも思わなかったのだけれど…
「ああ、ご心配なく。他に焼き印を押されていた子供たちは、すでに二年前に焼け死んでいましたから。」
にっこりと、微笑が向けられた。
「つまり、この子を殺しに来たってわけ?」
「他に方法がありませんしね。僕としても心苦しいんですよ? こんな小さなお嬢さんを手にかけるというのは……」
ぐっと肩に置かれた手に力が入っていた。リナは強く奥歯をかみ締めると、そのまま彼を睨み据え…
「リナ。」
わたしは彼女の名を呼んだ。
「わたしはまだ、リナの言うように《殺されてもいい》とも《死にたい》とも思わないよ?」
「あたり前よ! んなつまんないことで殺されてたまるもんですか!! あたしだってこんな理由じゃ思わないわよ!」
返って来た答えはあんまりにも予想通りで、わたしはついおかしくなってしまった。
「でもこのままじゃ、わたし殺されるらしいんだ。」
「そうよ、だから……」
「生き延びる為の三番目の方法だよ。」
リナの言葉を遮って、わたしは…笑った。
肩にのったリナの手を静かに降ろすと、もう一歩、彼のもとへ進み
「写本さえ消えればいいんだよね。」
「ええ。」
彼が微少を浮かべたまま、面白そうに頷く。
「あなたは賢いから、目的が叶ったらちゃんと、三流の悪役みたいに余計な悪あがきはしないで帰ってくれるよね。」
「…そうですね。写本さえ消えればいんですから。」
「約束だよ。一流の悪役さん。」
――生きていたい
多分目の前の相手は、わたしがどれだけ魔術を勉強しても適わない存在で、彼がそうしようと思えば、きっと秒殺でわたしなんか消えるんだろうけれど、それでも、思ったことはひとつだった。
(わたしにはまだ、やりたいことがある…)
そのためには――
(そのためには…)
足元に落ちていた木の枝を、適当な太さのものを選んで一本拾い上げた。今のわたしの技量なら、火炎球(ファイアーボール)も威力はないけれど、それに火を燈すくらいのことはできる。
「…なにを…」
「リナ。頼み事していい?」
わたしのそんな行動に、思わず声をかけてきた彼女に、手にしていた松明を渡す。そうして、上半身に着ていた服を脱ぎ出すと
「消して。背中の写本。」
淡々と言ってみたものの、その瞬間リナが息を呑んだのがわかった。
「消して…て、あんた……」
「焼き印を完全に消しちゃうのって、また上から火傷を負うか、皮膚を剥がすしかないんでしょ。だから消して、これ。」
「な…、何言ってんのよ!? 自分でいってることわかってるの!」
「他に手段がないんだもの。わたしはこんなことで…殺されたくない。」
まっすぐまっすぐに、振り返って言った言葉。
「もし…、リナがわたしの立場だったら、大人しく殺された? 側にいた人に、助けて下さいってすがった?」
最後はやっぱり笑っていたと思う。
ほんのちょっとの間だったけど、リナと同じように強い人になりたいって思ったから。
(だから…)
「……わかった…」
「ありがと。嫌なことさせるね。」
最後に見たのは彼だった。
苦しそうにしたり、悲しそうにするのは、全然意味がないと思ったから…精一杯、微笑んでやったのを、いまでもはっきり頭に焼き付いている。



ルナが気を失って倒れた瞬間、リナはとっさにそれを抱き留めた。火傷の範囲は背中全部だったため、リカバリィをかけてどのくらい回復するのかはわからなかったが、とにかく血の滲んだ皮膚を再生させると、そのままゆっくりと横たわらせ…
だっ、
一足飛びですぐ側にいた神官まで距離を縮めると、そのまま容赦なく右手を振り上げ
ぱぁん…!
乾いた音が夜中の街はずれに響いた。
リナは、彼がわざとその平手打ちを受けたことに、更に腹立だしさを覚えながら、半分濡れた緋色の瞳で鋼の弓のように、強く神官を射抜いた。
「……帰りなさいよ…。約束なんでしょ…」
本当に言いたいことは決して決して…それではなかったが、他に言うことは…言いたいことは後ろで横たわっている少女を思うと、そのまま飲み込むしかなかった。
(言いたいことは全部、あの子が全身全霊で伝えたから…)
何故だろう。その時に限って不本意ながら涙が零れていた。それは彼女に失礼だとは思いながらも、振り上げたままの手が悔しさのあまりに震えていたのを自覚する。
目の前に佇むは、ただ静かな漆黒の神官。微笑を浮かべたまま、どこか満足げにこちらを見つめ…
(――?)
リナは少し眉を寄せた。
彼が少しばかりこちらに向かって動いたように見え…それも霞んだ視界の中では確信するまでには至らなかったが――
「泣かないで下さいよ…」
「――――。」
瞬間、抱きしめられたことを知り、リナはどう反応するまでもなく、珍しく絶句していた。
さらりと黒髪が彼女の肩を掠める。まわされた腕は記憶に懐かしさという形で再び刻み込まれ、吹き抜ける夜風を肌に冷たく感じながら、熱を持ちはじめる自分の体に、また別の苛立たしさを覚える。
「ゼロス…」
押し殺すように低く呟く声。それには親しみなどどこにもこもっていないのは、聞いた者なら誰でもわかるだろう。
しかし当の相手はふう、とわざとらしい嘆息をついただけで、一向に彼女を放す気はないらしく
「やれやれ、嫌われちゃいましたかねえ」
「!」
リナが強く抵抗する素振りを見せた。
少女がみせる照れ隠しなどではなく、絶対的な拒絶がそこにある。
紅い眸の貫く闇。抑えても溢れるやり場のない怒りが向けられて、ゼロスは小さく口元を緩めた。
「…彼女、あなたがお育てになるんですか…?」
「!」 
 ばっと目をやるのはルナへと。痛みのあまりにショック死しなかったのがなによりの不思議だ。体はすべて再生されたものの、医者には診せるべきであろう。
「なにいって…」
「いい魔術士になりそうですね。」
 そして小さく、彼は彼女の額に唇を落とした。
(あの時の彼女の眼…)
 小さく少女の瞳が揺れた。神官はそのままゆったりと踵を返し
(あなたの瞳に、よく似てた…)
 最後に見せた彼の笑みを、少女は気づいたろうか。
 漆黒はそうして静かに軌跡を残し、虚空へと飲まれていった。

 
「リアランサー?」
「そ。間違えんじゃないわよ。」
 聞き返してきたわたしに、リナはウインクひとつでそう返していてた。
 晴れた午後の乗り合い馬車にて、中にいるのはわたしの方だ。おろしたままの黒髪に、やわらかな生地の服を着て座ると、どこか慣れない感じで少しの抵抗。
「んでこっちは紹介状。ていっても、見せるのは最終手段としてよ。」
「なぜ?」
「あたしの取次ぎ成しで認められなきゃ意味ないから。…ていっても、あたしの手紙なんかその日の夕ご飯には釜にくべられてると思うけど……」
「………」
 やや不安げな眼を上目遣いにむける。けれど、リナは小さく咳払いをすると
「まあ、とりあえず仕事先も時給はいいみたいだし! 行ってお目がねにかなったら、血の滲むような魔術修行が待ってるから、覚悟してなさい」
 腰に手をあてながら、まるで次なる犠牲者の出現に拍手する怪人のようにしてそんなことを言ってくる。
 わたしは今から行くところの光景をあれこれと想像しながら、ふとリナへと目を向け
「リナ、」
「なによ。」
 視線がぶつかる。紅い瞳はやっぱり、どこまでも澄んでいて…
「ありがとう。」
 風が…大きく吹いた。翠に輝く涼風は頬をなでて流れ
「いいから、さっさと行きなさいよ。御者を待たせすぎてもなんだしね。」
 言って、馬車がゆっくりと進み出そうとする。それはやがて見送り人から遠ざかり…
「あ、リナ!」
「?」
「名前! わたしの先生候補の人の名前、なんていうのっ」
 意外な質問だったらしい。そういえばまだ言っていなかったろうか、とばかりにリナは面食らったような顔をし…。
 走り出す馬車。流れる景色。その中で、リナは軽く息を吸うと
「《ルナ》よ! ルナ・インバース!」
 きょとんとしたのはわたしの方だった。けれどもややしてから、小さく吹き出したように笑い、大きく手を振って返した。
 あの時リナが渡してくれた紹介状は、最終手段となることもなかったままに、今もまだ持っている。ふと思って開けてみれば、『ごめんなさい』の一文だけが書かれていたのだから、もう笑うしかないだろう。これではわたしの紹介状ではなくリナの謝罪文だ。
 無論、今の魔術の先生はリナが帰ってきたときのために、わたしを送りつけてきたというのを理由に『すぺしゃるめにゅう』を計画中。それも実行される日は近いようだ。
 最後に、わたしが初めて先生に会って言われた言葉。これは一生の勲章だと今でも思っている。


       ――あなたのその瞳、私の妹によく似ているわ――



§アトガキ§
  お久しぶりですう! 多分どなたも記憶にないことと思いますう! 神代 櫻と申します!
 前作の連載を音信不通状態で何考えてるんだ、て感じですが、一応書いてるんです。まとまらないだけで。(-_-メ)
 やー、どこらへんにゼロリナ? て感じですねー。もともとはリナがゼロスに対する思いの抱き方を、第三者に話す、ていうのを書きたかったのですが、なぜかあれよれあよという間に別次元へ…。しかもオリキャラだぜ。文章ヘッポコだぜ。やっぱ一人称は私にはあってません…しくしく。
  でも呼んでくださった方がいらしたら、感想いただけると神代は昇天する思いで幸せです(天使とランデヴー♪)それでは〜

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11959Re:LUNAろん 9/21-20:44
記事番号11917へのコメント

こういうところに感想を書くのは恥ずかしいのでいつも読み逃げしています。
そーゆー人ってかなり多いと思いますよ。

魔族なゼロス、任務のためなら罪のない子供でも平気で殺せる。そしてリナの
想い。ゼロリナって恋愛ではハッピーエンドはありえない気がします。
求めている目的が違うのだから。そして幼いルナの凛とした生きる姿勢には
感動しました。 文章もとっても綺麗で・・・・・

これからも創作がんばってくださいね。 





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12001昇天ですう☆神代 櫻 9/25-22:26
記事番号11959へのコメント

はじめましてこんにちは! 文化祭の準備で溶けていたところ、三日ぶりにPCを立ち上げれば感想が来ているではありませぬかっ♪ 
少し遅くなりましたが感想ありがとうございます!
もうもう! ホントに天使と飛びました。ラリホー♪

>こういうところに感想を書くのは恥ずかしいのでいつも読み逃げしています。
>そーゆー人ってかなり多いと思いますよ。

あう! 実は私も同じです。読み逃げしてますう。自分は投稿するだけ投稿しておきながら・・・恥ずかしいっていうか、なんか書けばいいのかうまく思い浮かばなくて。でも心から感動した作品には、絶対に感想は入れるようにはしてるのですけど、最近それもままならぬ状況に・・・。何故一日は二十四時間なのかしら?

>魔族なゼロス、任務のためなら罪のない子供でも平気で殺せる。そしてリナの
>想い。ゼロリナって恋愛ではハッピーエンドはありえない気がします。

私もそう思います。ラヴラヴなハッピーエンドでみんなよかったよかった♪ なんて、それこそどこのカップリングでも出来ますものね。
ゼロリナだからこそある、葛藤とすれ違いと駆け引き・・・。そんなものを書いてゆきたいのですよう。といって書けてませんが。しくしく。

>求めている目的が違うのだから。そして幼いルナの凛とした生きる姿勢には
>感動しました。 文章もとっても綺麗で・・・・・

もったいないお言葉です! 私の文章なんて、もうもう、三人称でもダメダメなのに一人称なんて更にダメダメで・・・!
ルナは結構、淡々とした子に書きたかったのだけれど、「やっぱりリナが気に入る子にするには、度胸と精神力と強さがないと」とか思っていたら、なんだか末恐ろしい十二歳になってしまいました・・・。

>これからも創作がんばってくださいね。 

ホントにホントに感想ありがとうございました!! こんなのでも書いていると楽しくて、感想もらうとすんごい嬉しいのですううう!
ではでは、また機会がありましたら読んでくださると嬉しいです。