◆−加筆・修正「命の種のように」(ヴァルフィリ)−人見蕗子(10/5-17:45)No.12080


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12080加筆・修正「命の種のように」(ヴァルフィリ)人見蕗子 10/5-17:45


「え〜もう再掲示〜?」ってくらい再掲示早すぎてすいません。(汗)
 実は・・・大きいミスに気づいてしまいました。
 元々「命の種のように」は全3回でした。そして最終回をアップしたとき、私は風邪と中耳炎と外耳炎に苦しんでいて・・・。数日前、久々に小説でも書こうかとノーパソを開いたところ(小説書きは自室のノーパソ、ネットは親のパソ)・・・「なんで『命の種のように』は1と3と3とラストがあるんじゃああああ!!!?(汗)」という現象が・・・。どうやら「ACT.3」の前半部分がアップされてなかったのです。最終回二つに分けて書くなよ私・・・。
 って訳で加筆、修正して完全版を作り上げてみました。前回の方が良かったら・・・再々掲示かな?(死)
 尚、本文中の詩は高橋洋子さんの「Li−La」というアルバムの『命の種のように』の歌詞を小分けにしたものです。連載中、最初に明記しなかったので混乱させてしまいすいませんでした。
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 命の種のように



ACT.1


     もう いいよ
 
     おやすみなさい

     心も泣いているから

     命の種のように

     この胸でおやすみなさい




 嵐が近づいている。
 雨はまだ小降りだが激しい風がそれを容赦なく地面へと叩きつける。雲の切れ目からわずかに光る夕日は今にも落下しそうで、空は昼と夜の境目でうす紫のまだらを作り出している。
 そんな中、フィリアはマントの前をぎゅっ、と握り締めて家路を急いでいた。城下町の貴族の屋敷に壷の鑑定に呼ばれ、帰りが遅くなってしまったのだ。
 火竜王に使えし黄金竜族が滅亡したのち、フィリアは巫女を捨て、古代竜の神殿跡地に程近い人間の町の外れに骨董品屋を開いていた。ヴァルガーヴの幼生体と、彼の部下ジラスとグラボスと共に。今ではヴァルガーヴも転生し何も知らない彼に「ヴァル」と新たな名を与え、穏やかに生活している。
「まさかこんなに天気が急変するとは思わなかったわ・・・。家は吹っ飛んでないかしら・・・」
 自慢の金髪が雨と湿気をたっぷりと吸い込んで精彩を失い、強風でぐしゃぐしゃになる。白いブーツも泥にまみれてしまい、鑑定金は充分過ぎるほど貰えたというのにフィリアは少々機嫌を悪くする。もっと街の近くに店を構えるんだったわ、などとつい愚痴が口を突いて出てしまう。竜族と獣人という組み合わせでは人間には受け入れてもらえるわけがない、そう考えてあえて町外れの丘に家を建てたのだが、意外なことにこの街の者は彼女らを暖かく受け入れた。どうやら此処は遥か昔古代竜族を信仰していたらしく、今は誰もその竜族を知らないが当時のイデオロギーは受け継がれているようだ。
 此処は、とてもいいところだ。フィリアにとっても、おそらく獣人二人にもそしてヴァルにも。人間関係もいたって順調だし、店の経営も軌道に乗っている。神殿の中で「生かされて」いたときよりも一日一日の重みを感じる。なのに・・・フィリアの心には、いつもすきま風が吹いている。目に映らない程に小さく、だがそこから崩壊する危険性は十分考えられる危険な空洞。この寂しさが何なのか・・・フィリアはとうに気づいていて、ひたすらその事実を無視し続けている。
 小高い丘の上の家が見えた辺りから急に雨脚が強くなったがすでに闇が近づきつつあるため、フィリアは顔を拭いながらひたすら走る。
「はっ・・・はっ・・・はあっ・・・・」
 ようやく家の外玄関の軒下に逃げ込み、フィリアは荒い息をつく。そして視線をあげた時、彼女は視界にはいったものに驚愕し、びくっ、と身を震わせた。
 丘陵に立つすらりと長い人影。それが大きくよろめきながらこちらに向かってくるように見える。
「―――ヴァ・・・!?」
 一瞬の硬直から離脱したフィリアが一歩踏み出した瞬間、遠くの空を引き裂く稲妻が走り・・・ごおおおおお、地の底を這うような雷鳴が彼女を襲う。
「・・・錯覚、か・・・」
 割れんばかりに脈打つ心臓を押さえ、フィリアはびしょ濡れの額を拭う。それは雨のせいばかりでもなく、嫌な汗だ。稲光の瞬間、人影とばかり思っていたものは明るい光に一本の細い木として照らし出された。本性に一度気づいてしまうと、それはもう今にも地面から引っこ抜かれ飛ばされそうな木にしか見えない。フィリアは胸をなでおろす。
「そうよ・・・ただの木じゃないの・・・。何で、あのひとかもなんて思ったのかしら・・・」
 きっとあれがいけないんだわ、とフィリアは空を睨む。そこには、千切れ雲に隠れてはまた現れる大きな満月があった。いつかのあのひとと、ヴァルガーヴの瞳と同じく、虚ろで、尖ってて、狂った金色。
 フィリアの瞳が悲しげに伏せられる。
「・・・ヴァル・・・ガーヴ・・・・」
 彼はヴァルとして生まれ変わり、目を見張る速さで成長している。なのに・・・どうして私は「ヴァルガーヴ」を求めているの・・・?
「姐さん、帰ってたんですか?心配しましたぜ」
「ひあああッッッ!!!?」
 突然背後から声を掛けられ、フィリアはびくっ、としておそるおそる振り返る。そこには自分と同じくびしょ濡れの、板と金槌を持ち口には釘をくわえたグラボス。
「ぐ・・・グラボスさん・・・。びっくりしたあ・・・・・」
「そ、そうですか?スイマセン・・・。思ったより大きい嵐が来そうなんで、今家中の窓に板を打ち付けてたところなんで・・・」
「この家、大丈夫よねえ・・・?」
 フィリアはほんの冗談のつもりだったのだが、
「う〜ん・・・。この前姐さんがレーザーブレスで破った洗面所の壁は直してないし・・・。ヴァルガーヴ様、じゃなくてヴァル様が激突して見事に折れたリビングの柱は板ひとつしか補強してないし・・・」
 などとグラボスが真剣な顔で首をひねるので急に不安になる。
「まあ、こんなところに突っ立っててもしょうがないですよ、姐さん。夕飯にしましょうや。ヴァル様、今日も一日走り回ってましたから、腹すかして待ってますよ」
 とグラボスが玄関の扉を開くと、そこから柔らかな光と香ばしい匂いと子供の嬌声が溢れ出し、フィリアの体に絡みついた。
 これが、今目の前にある現実。幸せ。
「ヴァル様、姐さんのお帰りですぜー」
声を張り上げ中に入るグラボスの背をフィリアは呆けたように見つめ、何故か後ろめたさを感じてもう一度後ろを振り返ったが、月は雲の中に隠れ、彼女に姿を見せることはなかった。


「フィリア遅〜い!!オレ腹減ったよ〜」
 夕食の並んだテーブルの前に腰掛け、ヴァルはぷうと頬を膨らませる。
「ごめんなさい、仕事が長引いちゃったの」
 椅子の背に掛けられたタオルでざっと髪を拭き、濡れたマントを外すと着替えもせずにフィリアは彼の隣に座る。
「仕事仕事ってそればっか優先すっから、男ができないんだぞ」
「な・・・!!何変なこといってるの、ヴァル―――」
 ガーヴ、と続けそうになり慌ててフィリアは口をつぐむ。それは、彼にはもう無関係な名前だ。聞かせたくはない。一方ヴァルもフィリアの歯切れの悪さに気づいて訝しげに彼女を見つめる。
 ヴァルは、自分の生い立ちを知らない。何故親ではないフィリアと獣人と暮らしているのか、彼は何一つ知らないが特別困ったこともない。彼らは親以上にやさしく厳しく接してくれる。しかし、ヴァルはひとつだけ気にかかることがあった。自分の名前だ。獣人二人はときどき「ヴァルガーヴ様」と自分を呼ぶ。そしてフィリアは絶対にそれは言わないが・・・本来の名である「ヴァル」の後に必ず妙な間をもうけるのである。自分のヴァルという名前は、「ヴァルガーヴ」という人物から受け継いだものなのだろうか。だとしたら、彼は一体誰なのだろう。名を呼ばれるたびに胸をよぎる疑問を、だがヴァルは一度も口にしたことはない。「ヴァル―――」と口篭もり、自分から視線を外した瞬間のフィリアの悲しげな瞳。彼は、それを見たくはなかった。どこかへ行ってしまった人の背中を見つめているような、その瞳を。
「姐さん、ヴァル様、どうした?今日のご飯まずいか?」
 心配そうに二人の顔を覗き込むジラスの声に、二人ははっと我にかえる。
「ううん、まだ頂いてないの。ほらヴァル、手を合わせて」
 いつもどおりのフィリアの笑顔にヴァルもつられて笑顔になり、
「いただきまーす」
 と言うが早いか目の前の骨付き肉に手を伸ばした。
「やっぱジラスのメシが最高だよ!!この前フィリアと二人だった時なんて消し炭パン食わされたんだぜー。嫁にいけね―よなフィリアって」
「ヴァル様がもらってあげたらどうです?」
「オレがあ!?いいよ、グラボスにやる」
 はいどうぞ、といった感じでヴァルはフィリアの袖をグラボスの方へ引く。
「嫌だヴァル、お肉を掴んだ手で触らないで!!・・・あーあ、洗濯するのは私なんですからね・・・」
 脂と香辛料でべっとりと手形がついてしまったが、言葉ほどは気にしていないらしくフィリアは食事を続ける。
「ほんと、美味しいわ。今度ジラスさんに料理習おうかしら」
「いいけど、何教えればいい?オレ、消し炭パンは習わなくてもいい・・・」
「姐さんって見た目の割に家事向きじゃねえんですよね。洗濯物だって皺だらけだったり下に落としたり」
 ひとしきり3人で笑いあった後、フィリアはヴァルの動きが止まっていることに気づいた。
「ヴァル、どうかした?食べ終わったの?」
 だが返事はない。唇が心持ち青ざめ、全身が小刻みに震えている。熱でもあるのかと思いフィリアはヴァルの額に手をあててみるが、特に変わった様子はない。
「ヴァル様、どうかしました?」
「具合でも悪いか?」
 獣人二人も不安げにヴァルの顔を覗き込んだその時、彼の目から涙がこぼれ落ちた。後から後から流れる涙、しかし金の瞳は曇ることなくなお美しく輝いている。
「泣いている・・・」
 震え、半開きの唇から呆けたようなつぶやきがもれた。
「・・・誰が・・・?」
「聞こえないの!?フィリア!!ジラス、グラボス!?」
 小さな手にびっくりするほど強く胸元を掴まれ、フィリアは絶句する。耳をいくら澄ませようとも、聞こえるのは外で狂ったように暴れまわる風の音と、ヴァルの熱い吐息だけだ。ヴァルは一体何を聞き、何に怯えているのだろうか。流れつづける涙を拭ってやりながらフィリアは向かい側の獣人二人に視線を送るが、彼らの耳にも聞こえないらしく首を横に振る。
「ねえヴァル、誰も泣いてなんかいないわ。これは、風の音よ。嵐がきているの」
「違う!!」
 ヴァルは身を捩ってフィリアの手を振り払い、椅子から飛び降りると窓に駆け寄って遠くをじっと見つめた。3人も慌てて席を立ち、ヴァルを囲むように後ろに立つ。
「どこか遠くで・・・泣いてるんだ、オレには聞こえるよ。寂しいって。苦しいって。助けてって。心が・・・悲鳴をあげてるんだ」
「誰の、心?」
「そんなの分かんない・・・。でも、きっとオレを呼んでる。
 言葉はね、すごく怖いんだ。声は怒ってる。俺に気づくな、耳を塞げ、目をつぶれ、何も言うな、って。すごく怒ってるのに、でもオレには聞こえるんだ、その人の心が泣いてる声が。
 ・・・苦しいんだ、なんでか分からないけど、あの声は、すごく苦しい・・・・」
「誰なの・・・!?」
 ヴァルが見つめる窓の向こうに、一瞬だけ満月が姿を現し、フィリアの目を射った。そして、彼女はヴァルだけに聞こえる声の主に思い当たった。簡単なことだ。ヴァルにしか聞こえない、ヴァルと繋がりし者。それは・・・かつてこの体の持ち主だった彼に間違いはない。ヴァルガーヴ。その名を思っただけで、胸が苦しくなるこの感じ。あのころの苦い記憶を蘇らせるあの名前。
(ヴァルガーヴ・・・あなたはこの体を離れ、何処かで生き続けているのですか・・・?)
 そっと呼びかけてみる。無論、返事はない。
 未だ窓に張り付いたままのヴァルに歩みより、フィリアはその体をぎゅっと抱き締める。
「ヴァル・・・声はまだ聞こえる?」
「うん・・・。悲しい、かすれた血を吐くような声・・・・」
 フィリアは、それがはっきりと聞こえたような気がした。彼がまだ自分の目の前にいたときにはまるで気づかなかった、彼の魂の叫び。恐怖を、涙を、怒りを、嫉妬を、孤独を押し殺し、虚勢を張って絶望へと走り、そして―――。
「会いに行きましょうか」
「え!?」
 驚いたのはヴァルだ。救ってあげたい、側に居てあげたいのは確かだけれど・・・彼がどこにいるかは分からない。
「フィリア、何処で泣いているか分かるの!?」
「ええ、分かるわよ」
 自信ありげなフィリアの答えに、ジラスとグラボスも驚愕する。確証などありはしない、しかし、彼が泣くべき場所はひとつしかない。今はもう存在しない、古代竜最後の聖域―――。
「嵐が去ったら、出掛けるわよ」
 本当は今すぐにでも確かめたい、あの人が今も何処かにいるという事実。知らず知らずのうちに笑顔がこぼれ、フィリアは子供のように高揚してその時を待つ自分に驚き、そしてまた笑った。



     遠く離れたあの人よ

     今はどこ?元気ですか

     過去の涙を抱きしめ

     苦しんでいるの?



 ACT.2


     あなたにとっての始まりは
 
     別れだと言ってたけど

     全てを捨てきることは

     むりだと思うの




 寒風吹きすさぶ岩場に、彼はひとり膝を抱えてうずくまっていた。
 ぐるりと岩場に囲まれた谷には、古めかしい神殿が半分雪に覆われ、ひっそりと建っている。今はもう存在しないはずの古代竜の故郷、そして神殿。そこに今はもういないはずの彼―――ヴァルガーヴはいた。その金の瞳には何も映ってはいない。

 
 まさか、気づかれるとは思わなかった。
 彼はただ、見ているだけでよかったのだ。もうひとりの自分が、幸せに生き続けるところを。かつての部下が、黄金竜の少女が幸せになるところを。
 見ているだけでよかった。
 その反面、彼の心は未だ世界を滅ぼそうと決意したときのまま凍結している。
 世界を、全てを憎み―――本当は愛されたいと、救われたいと望んでいたあの気持ち。
 黄金竜の少女に我らが一族の滅びの償いをさせたとき―――本当は彼女の恵まれた生に嫉妬し、その無知さを憐れみ、彼女が悪くはないと気づいていたのに自身を止められなかったあの後悔と後味の悪さ。

 
 いっそ、すべて滅んでしまえばよかった。
 そうしたら、あのときのぐちゃぐちゃに絡んだ感情を突き詰めて考えなくても良かった。
 しかし自分は意識体となって残り、今までの愚行が何だったのか未だ考えつづけている。
 ―――馬鹿らしい。
 結局世界が滅びることなど無く、自分は体から切り離されて意識だけ彷徨い、後は何も変わっちゃいない。
 今更、自己嫌悪に陥ってもその声は誰にも届かず、姿を晒す事もない。
 そう信じ、やっと何かが見えたような気がしたのに。
 もう一人の自分が、見ていた。聞いていた。
 狂気と虚勢に埋もれ、もはや消え失せたと信じていた感情を。
 そして、黄金竜の少女は気づいた。
 俺が何処にいるのか。
 もういいんだ、俺はずっとあんたを苦しめてきた。
 もう忘れてくれ。
 其処にいるガキは俺であって俺じゃない、俺は体を提供しただけだ。だから、そいつを可愛がってやれよ。
 今、幸せそうじゃねえか。
 それでいいんだよ。
 俺は―――。


 豊かな金髪。ダークブルーの瞳。その悲壮な声。
「ヴァルガーヴ!!」
 彼の名を呼ぶとき、彼女はいつも泣いていた。

 
 それでも、名を呼ばれたいと思ったのは―――。


 フィリアを傷つけたくない。
 ヴァルと、ジラスと、グラボス。4人で幸せになってほしい。
 それすら―――建前なのだろうか。
 本音で生きてきたことなどなかった。主への思いだけは本物だったが・・・彼の真意すら汲み取れず、何かを間違えた気がしてたまらないのだ。魔竜王にすら報いることができなかったというのに、これ以上どうすればいいのだろう。


 答えをもたぬまま、彼は動かない。
 訪問者を、ただ待っていた。




     信じてほしい

     優しさに怯えず

     たくさんの今日を越え

     涙はかわくもの




 

 ACT.3


 昨晩一睡も出来なかったのは、激しい風にがたがたと揺れる窓枠や叩きつける雨の音のせいばかりでは決してない。
 逢いたい。ヴァルガーヴに逢いたい。
 馬鹿げてて、単純で、でもそれがフィリアの本音なのだ。
 欲を言うならば、彼と向かい合って話し合ってみたい。自分はいくら傷ついても構わない、彼が心に負った傷より深い物などないような気がする。幾度と無く死に、生まれ変わり、その度に絶望と孤独の深淵に突き落とされて―――。もう、傷ついて欲しくなどない。抱えている傷を、絶望を、孤独を、全て見せてほしい。それを捨て、本当に彼の求める道を模索し、歩んでほしい。
 逢いたい、話したい、守ってあげたい―――。「あげたい」なんて欺瞞だと知ってはいるけれど、それでも、守りたい。
 ―――本当に、この手でヴァルガーヴを救うことなど出来るの?
 ふと浮かぶ疑問が、フィリアの心を澱ませる。これは、彼に出会って初めて知った感情だった。
 巫女は、自分の感情を持たない。与えられた知識、呪文、イデオロギーを信じ、決してそれを疑問に思うことはない。もしヴァルガーヴに出会わなければ、自分は一生己に与えられた事だけを正義とし、それを少しでも信じぬものを批判し、傲慢で愚かしい生き物だっただろう。フィリアは、彼を憎んでも恨んでもいない。今となっては感謝の念すら抱いている。だから・・・今度は、迷っている彼の心を救いだしたいのだ。
 鏡に顔を映すと、そこには恋する少女のようなぴかぴかの笑顔が映っている。神殿にいたときには考えられない、自分の感情丸出しの顔。はじめて見たそれはとても恥ずかしくて、けれど幸福の象徴かもしれないとフィリアは思った。


「支度できた?ヴァル」
 自分はすっかり支度を終えたフィリアがリビングに飛び込んでくると、もたもたとシャツのボタンを留めるヴァルと彼の上着と靴下を持ったジラスとグラボスが目を見開き、彼女を凝視する。
「?ど・・・どうかした?」
「フィリア・・・化粧してる・・・」
 ヴァルのつぶやきにフィリアはきゃっ、と短く叫び、
「変・・・?全然お化粧なんか縁がなかったから自己流で・・・。もしかして濃すぎる!?」
「ううん、キレイ」
 やや憮然とした感じで返事をするヴァル。それが照れ隠しであることに気づいた獣人二人は顔を見合わせて笑う。
「それにしても姐さん、まるで女優みてえですよ。そんな風に着飾ると」
「姐さん、いつもキレイだけど、化粧してもキレイ。なんで普段はすっぴんだ?」
「馬鹿、いいかジラス、普段の姐さんは店の女主人だ、自分の顔より店だ!!」
 フィリアは目を伏せ、照れ隠しに微笑む。こんなに着飾るのはどのくらい振りだろうか。まだ逢えるなんて決まっていないのよ、そう言い聞かせてみたのだが気が付いたときには一張羅のワンピースに着替え、念入りに化粧をし、爪にマニキュアまで塗っていたのだから自分でもあきれてしまう。全ては、ヴァルガーヴのためなのだ。彼にはまだ、笑顔を見せたことがない。いつもいつも涙ぐみ、悲愴な表情ばかり。一度は、見て欲しかった。笑っている自分。さっき鏡に映った、恋をしている女の顔。そして―――、できれば彼にも微笑んでほしい。最期の瞬間に垣間見た、あんな悲しい笑みではなくて。
 晴れやかな笑みを浮かべるフィリアとは対照的に、ヴァルの表情は暗かった。
 昨日、フィリアが彼の居場所を知っていると言ってから、彼の声がぴたりと止んだ。しかし、胸の苦しさは一層増している。昨夜一睡も出来なかったのは、嵐のせいだけではなかった。とうに無くしてしまった記憶をかき混ぜられるようなどうしようもないもどかしさと、奇妙な高揚感が交互に襲ってくる。彼の声を聞いた瞬間は逢わなければ、逢って助けてあげなければという思いに支配されたというのに、今はひどく躊躇している自分がいる。それを振り切ろうとヴァルはぶんぶん頭を振り、
「フィリア、先に行ってるよ」
 と告げると玄関まで走り、またもたもたと靴ヒモを結んだ。
「待ってよ、ヴァル。私が行かなきゃ、あのひとの所へいけないわよ!?」
 すぐにヴァルに追いつき、とんとん、とつま先を突いてパンプスを履くフィリアの嬉しそうな声は、ヴァルの躊躇いをわずかだが払拭する。
「空が青いわー・・・」
 ヴァルが靴を履き終えるのを待たずにフィリアは外に飛び出すとのんきに空を見上げ、ひとつ伸びをする。
 自分にしか聞こえない声。声を聞かないのに、声の主に気づき、彼の居場所までをも突き止めてしまったフィリア。疑問を抱えながらも、ヴァルはフィリアの後を追う。
 玄関の扉を開くと、そこは確かに目のさめるような真っ青な空が何処までも広がっていた。昨日とはまるで違う穏やかな風、高い空。足元のぬかるみや折れた木々は晴れ渡る風景に翳りを落としてはいたが、フィリアの高揚はその程度で納まるようなものではないようだ。くるん、と半回転してヴァルに向き直ると、服の裾が地面につくのも気にせず、しゃがみこんでぎゅっと彼を抱きしめる。
「ちょ・・・ちょっとフィリアぁ!?」
 慌てたヴァルは両腕をちぎれんばかりに振り回すが、フィリアの両腕は力強く、とても振り払えるものではなかった。溺れかけた者が命を掛けてしがみ付くかのように。彼女の顔は見えない。
「ヴァル、目をつぶって。私がいいって言うまで、何も見ては駄目。いい?」
 その声は高揚を切り捨て、重く澱んでいた。しかしヴァルはこくん、と小さくうなづく。耳元で呪文が聞こえる。―――テレポート。
「フィリア、何で・・・っ!?」
 それに気づいたヴァルが抗議の声をあげるよりわずかに早く、二人の姿はかき消えた。

 腕の中の少年の重みに責められているような気がして、フィリアは涙ぐむ。
 ―――本当に、ずるいわね。
 ヴァルにかつての彼の正体も、自分と彼の因縁も、彼が祈るべき神殿の跡地さえも教えず、ただ、「ヴァル」を自分の子供とし、あまつさえ伴侶にしようとさえ思っていた。
 ここまで来てまだ自分は保身ばかりを考えている、その事実に気づいたフィリアはいっそ自分が死んでいれば良かったと痛感した。
 彼の気持ちも知らずに。
 彼女にもう一度出会いたい、それが、彼の真意だったことに気づかずに。




「フィリア・・・ここ、どこなの?」
 ヴァルがどんなに強く服の裾をひっぱっても、フィリアは絶句したまま動けない。
 目の前にそびえるのはぐるりと四方を岩場に囲まれ、古ぼけ半分崩れ落ちた神殿。そして、それを一層現実から切り離しているのは降り積もった雪と氷。
「・・・そんな・・・そんな・・・・・」
 口元を手で覆い隠し、フィリアは呆然と立ちすくむ。
 これは、今はもう存在しないはずの風景だ。あのとき・・・神をも魔をも超越したヴァルガーヴが全てを破壊し、後には荒野が広がっていたはずなのに・・・これは一体何なのだろう。
 重く垂れ下がった雲からは間断なく雪が舞い降り、ヴァルはそっと手を差し伸べてみたが、それはすっ、と彼の手を通り抜け、やがて消えた。後ろを振り向くと、そこにはどこまでも青く高い空が広がっている。
「ねえフィリア、この雪触れないよ。全部通り抜けるんだ・・・なんでだろ・・・?それに、冬なのもここだけだ・・・」
 ヴァルの言葉にフィリアは我に返り、震える指先で近くを舞っていたひとひらの雪を捕らえようとしたがやはり触れられない。
「・・・やっぱり・・・。ここは、存在しない・・・・」
 膝がかたかたと笑う。これは、すべてイメージだ。そしてこの記憶を持つものは―――ヴァルガーヴしか考えられない。
こんな寂しいところで、たった一人で泣いていたの?孤独に怯えていたの?救いを求めていたの?
「ヴァルガーヴ・・・!?」
 その瞬間フィリアは服の裾にしがみつく少年の存在を忘れ、彼の名をつぶやいていた。
 そしてその声に応えるかのように、降りしきる雪の中からひとりの青年が姿を現す。
「―――皮肉な話だとは思わねえか・・・?我らが一族の虐殺の記憶の中で、子供のころの俺は何をするでもなく、ただ泣きつづけていた。俺はあいつと向かい合うのが怖くて神殿をぶっ潰したようなものなのに・・・今また、俺はこの神殿と共にある。―――下らねえ」
 最後の瞬間と何一つ変わってはいない。悲しげな笑み。自嘲ぎみの口調。すべては、彼を失ってから何度も思い描き、夢にまで見た彼そのもの。面と向かい合っていたときには気づかなかった、彼の弱さ。今はそればかりが目につき、フィリアの胸を詰まらせる。
「・・・ヴァルガーヴ!!」
 感情のすべてを吐き出すかのようにフィリアは叫び、ヴァルガーヴへと走りよった。しかし・・・力いっぱい抱きしめようとしたのに手ごたえひとつない。
「あ・・・・・」
 フィリアの体は、いともたやすくヴァルガーヴをすり抜ける。
「無駄だぜ。俺にはもう、器がない。本来なら、俺がここにとどまっていることもあっちゃいけねえんだよ。
 あんたが何を思ってここまで来たかは何となく分かる。・・・俺は、あんたと一緒には居られない。分かっただろ、今ので。だから―――、もう帰んな、お嬢さん?」
 もう帰んな、お嬢さん。
 侮蔑と、哀れみと・・・嫉妬の入り混じった言葉。以前、ダークスターのゲートの下でそういわれたとき、フィリアは引くことなく、絶望の中にありながら彼に問いつづけた。しかし、今のフィリアはただ立ちすくむだけだ。ヴァルガーヴを救いたい。ヴァルガーヴに笑って欲しい。なのに・・・もう救う事はできない。この両手には、無力と言う名の烙印が押された。
 どうすればいいの?どうすればいいの?どうすればいいの?
 かつて巫女だった事実をここまでうらめしいと思ったことはなかった。あのころは与えられた知識を、信仰の対象を、ただ信じていればよかった。救いを求め四方八方から伸びる手は、すべて救えると思い込んでいた。その欺瞞がなければ、出会った瞬間に彼の真意に気づき、救えたかもしれない。神と魔ばかりに、善と悪ばかりに捕らわれていたから彼の破滅をゆるし、心の、魂の慟哭を聞き逃してしまっていたのなら―――。
「・・・さよなら、お嬢さん」
 触れられないと分かっているのにヴァルガーヴは手を伸ばし、フィリアの頬をなでるようなしぐさをするときびすを返し、雪の中へ消えようとした。
「待って!!」
 短い叫びに、ヴァルガーヴは驚愕して思わず振り向いた。だが、フィリアはがくがくと震えているだけだ。その服の裾を握る少年―――ヴァルの金の瞳はまっすぐにヴァルガーヴを捕らえていた。かつての自分と同じ顔をみつめ、ヴァルガーヴはふっ、と破顔すると少年の視線上までしゃがみこむ。
「何の用だ?ボーズ」
「・・・ヴァルガーヴ、行かないで」
「はあ?」
 突拍子もないヴァルの言葉に面くらい、ヴァルガーヴは目を見開く。
「お兄ちゃんがヴァルガーヴなんでしょ?ずっと泣いてたのは、ずっとオレと話していたのはお兄ちゃんなんでしょ?」
「泣いてた、か・・・。―――そうだな」
 だから何だ?俺が行っちまえばもう声をきかなくてもいいんだぜ、ヴァルガーヴは言い、立ち上がる。
「嘘だ!!そんなのひどいよ!!オレはお兄ちゃんの泣いてる声を聞くと悲しいけど、でも、そんなんじゃ駄目だよ!!オレたち、お兄ちゃんを救いに来たんだよ!!」
「ヴァル・・・」
 フィリアが、ヴァルガーヴに伝えきれなかった言葉を託すかのようにヴァルの肩に手を置く。
「救いなんざいらねえよ・・・。俺は、救われたくてここに残ってるんじゃない・・・。
 ―――お嬢さんのことが、気がかりだっただけさ。結果としてあんたにすべて背負わせちまったから・・・。でも、ヴァルがいるなら俺という意識体は必要ないんだ。
 だから、俺はもう居なくなったほうがいいんだよ。そうすりゃ、みんな幸せになれる。分かるか、ヴァル?」
 ヴァルの肩に置かれたフィリアの手がこわばり、ぎゅっと爪をたてる。
「―――分かんない!!そんなの違う!!違うんだよお兄ちゃん・・・ううん、ヴァルガーヴ。
 フィリアがオレの名前を呼ぶとき、誰を思い出してるか知ってる!?ヴァルガーヴ、って呼ぶのを、いつも必死でこらえてるんだ。ジラスも、グラボスも。
 オレ、昔何があったか知らないけど・・・ヴァルガーヴとオレは、ひとつになるべきだと思うんだ。そうすれば、みんな幸せになれるんだよ!!
オレじゃ・・・フィリアを幸せにはできない」
 ヴァルの言葉に驚いたのはヴァルガーヴだけではなかった。フィリアはヴァルの肩から手を外し、青ざめた顔で彼を見つめる。その表情に、怯えや躊躇はない。
 見抜かれていた。ヴァルの向こうにヴァルガーヴを見ていたことも、まだ彼への思いを断ち切れなかったことも、すべて。そして、こんな小さな子供に悲しい思いをさせていた・・・。
「ヴァル・・・お前・・・・。知っていたのか?お前の体が・・・かつて俺のものだったと・・・・」
「よく分からないけど、ヴァルガーヴが悲しいとオレも悲しいんだ。ふたりがひとつに戻ったら後から現れたオレは消えるかも知れないけれど・・・ヴァルガーヴが幸せなら、フィリアが幸せなら、オレも幸せなんだ」
 にっこりとヴァルは笑い、小さな手をヴァルガーヴに差し出した。この手を握れば・・・多分、何かが起こる。しかし、ヴァルガーヴはそれをおこしていいのか躊躇い、顔を盗み見た。ヴァルではなく、フィリアの顔を。その目は、ヴァルではなく自分に注がれていた。
 ダークスターと融合した時、繰り返し見た幼い自分が脳裏をよぎる。目の前の少年と同じ顔をしていながら、一度もこんな風に笑えたことはなかった。今彼と融合すれば、また、少年は笑えなくなる―――?
 戸惑うヴァルガーヴの手に、ヴァルの温かな手が触れた。


 少年の体は見る間に青年のものへと変わった。水の流れのように肩のあたりで揃えられていた髪が腰まで流れ、彼はゆっくりと目を開く。そこから、涙があふれ頬を伝った。金色の、虚ろな瞳。
 フィリアには、その体の中に居るのがヴァルなのか、ヴァルガーヴなのか、分からない。傷のない頬を次々と涙が伝い、しかし傷のない手はだらんと下がったまま涙を拭おうともしない。
 やがて、嗚咽をかみ殺していた唇が開いた。
「―――何でだよ・・・ヴァル・・・!!!」
 残ったのは、ヴァルガーヴの方だったのだ。
 「ヴァル・・・ガーヴ・・・」
 地面に膝をつきただ泣きじゃくるヴァルガーヴに歩みより、フィリアはそっとその体を抱き締める。
「俺が・・・消えれば良かったんだ・・・なんでヴァルが・・・消えるんだよ・・・・」
 もう泣かないと決めたのは、いつだっただろうか。もう泣かない、泣いても何も変わりはしない、そう思って泣くのはやめたはずだった。主をうしなったときすら出なかった涙が・・・流れた。
 罪の上に成り立つ生とはこんなにも重いものなのか、一族の滅びをこの目で見届けたヴァルガーヴでも、この重荷は背負いきれない重圧があった。
「ヴァルガーヴ、もう泣かないで」
 慈愛に満ちた声に思わず顔を上げると、そこには意外なことに涙ひとつ見せないフィリアの姿があった。むしろ、その顔は微笑んでいるようだ。
「ヴァルは消えたのではない・・・貴方の中で、生きているんです。
 私が冷たく見えるかもしれない・・・でも、これが私の本音です。・・・逢いたかった・・・・!!」
 抱きついてきたフィリアに戸惑うヴァルガーヴ。 
「俺で・・・いいのか?俺には、あんたを幸せにしてやれねえ・・・」
「ヴァルの言葉を、聞かなかったの?」
 ヴァルガーヴの、今はもう傷を失った額にフィリアがキスをすると、彼は初めて感情の全てをぶつけるかのようにフィリアを抱き締めた。
 
     もう いいわ

     おやすみなさい
 
     心が泣いているから
 
     命の種を運ぶ

     夜風が吹き出すまえに





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 ラストをちょっと変えてみました。しかし私って・・・「再会」をテーマにするのはいいけど一回くらい「その先」を書こうよ・・・。
 では。私の救いようのないドス黒いシリアスに付き合ってくださりありがとうございました。
 次はギャグのヴァルフィリでvお会いしましょうっていうか逢ってください。お願いします。〔切実〕
(テスト4日前なんだ〜・・・テストの時間割知ったの今日なのに〜〜〜)