◆−夜の歌−ひな(10/20-12:53)No.8066
 ┣あるいはこんな夜の歌−ひな(10/23-17:31)No.8073
 ┃┗Re:あるいはこんな夜の歌−零(10/25-17:02)No.8078
 ┃ ┗ありがとうございます。−ひな(11/1-02:49)No.8096
 ┗物語のための(前編)−ひな(11/1-02:45)No.8095
  ┗物語のための(後編)−ひな(11/9-22:36)NEWNo.8148


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8066夜の歌ひな 10/20-12:53


こんにちは。ひなと申します。
突発的に書いた超短編、「夜の歌」です。
一人称です。
さあ、一体語り部は誰なんでしょう?





***********************************





時折、明け方に夢を見る。


目の前に、女がいる。
俺は彼女をまじまじと見つめる。
とても小さな女だ。
顔の輪郭はレモンのようになめらかで小さく、栗色の髪は絹糸のように細い。体つきも、同じ生き物
とは思えないほどに薄く、頼りない。触れると崩れてしまいそうなほど、儚いその姿。
――なんて幼いんだろう。
そう思うと、俺は息がつまる。
あの頃は、そのことに気づきもしなかった。


彼女の目が、俺を見つめる。
一瞬、彼女の目に何かが見えたような気がした。
普段は決して見せることのない、隠された感情が。
何かが。
何か、彼女の最もコアな部分をうかがわせるものが。
彼女をいつも強く揺り動かし、狂気の沙汰へと駆り立てるものが。
狂気よりもなお暗い何かが。絶望よりなお切ない何かが。
だが瞳はすぐにその色を深く深くして、何の感情も悟りえぬ色に変わる。
彼女は俺を見る。その眼差しはひやりとするくらいクールで、フラットだ。
そして言う。
「他人にうしろを見せるくらいなら、死んだほうがマシよ」


今なら、気づくことができる。
ふいっとそっぽを向いた彼女の、ナイフで切り取ったように鋭角的な唇が、かすかに震えていたのを。
薄い瞼が、何かをこらえるようにせわしなく瞬いたのを。
踵を返して歩き出した彼女の、軍人のような勇ましい足取りではなく、その背中の小ささを。


あの頃に、気づいてやれなかったんだろうか。


小さな体に巣食っていた、とてつもないプライドを。
彼女は愚かしいほどに誇り高く、ひとりぼっちだった。






俺は目を閉じたまま、じっとしている。
目を開けたら、涙ぐんでしまいそうだから。
目を開けたら、ついさっきまで感じていた、リナの命の温もりが消えてしまいそうだから。
あの頃、どうしても理解しあえず、だが愛した女。
おそらくはあの言葉どうりに、死に到った女。
俺はきつく目を閉じる。
そして確信する。
それは、あってはならないことだった。
リナはほんとうに特別な女だったのだ。
誰かが、彼女を救ってやるべきだったのだ。


だけど、誰にそんなことができたというのだろう……?






俺はふたたび夢のなかへと漂いはじめる。
目の前に、黒いマントにつつまれた小さな背中が見える。
リナの後姿にむかって、俺はあわてて歩き始める。
彼女にかける言葉を、慎重に選びながら。
あるいは、ただ黙って後ろをついて行く俺の足音に、言葉にしない何かを感じとってもらおうとして。

もちろん、これがただの夢であることを俺は知っている。
だが。
彼女の声。彼女の鼓動。彼女の命がそこで息づいている。
俺の世界のなかで、彼女はふたたび生命を取り戻している。

夢のなか、想像のなか、記憶のなかで、俺は何度もリナをよみがえらせるだろう。
あの頃どうしても告げられなかった言葉を告げるために。
救えなかった彼女を救うために。
何度でも。








***************************************




答え:ゼルやんです。簡単ですね。
それではお目汚しでした。



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8073あるいはこんな夜の歌ひな 10/23-17:31
記事番号8066へのコメント

ひなです。
こんどは番外編です。






*****************************************************




そこは、ひどく寒いところだった。

暗くじめじめした、石造りのラビリンス。
視界は悪く、5メートル先もろくに見えないところだ。
俺は湿った石の壁をに手をあてて歩きながら、必死で出口を探している。
と、背後で何かが動く気配がする。
俺はびくりと振り向く。
だが、何もいない。
しかし、そこには確かに何かがいたのだ。
そんなことが何回も何回も起こる。
生き物の気配など全くないのに、何かが後ろでうごめいているのがわかるのだ。
恐怖と焦りを必死で押し殺しながら、俺は出口を探しつづける。
ふいに、前方からわずかな光が見える。
出口だ!
俺は思わず声を上げて駆け出す。
そして切り立った崖のような出口に辿り着き・・・・・・俺は、凍りついた。
目に入ったのは、眼下に広がる果てしないラビリンス。
毛細血管のように大地に広がり、地平線までも覆う広大な石の迷宮。
そして、頭上にたれこめる血のような赤い空――。
遠のいていく心臓の音を聞きながら、俺はようやく気がつく。

ここが地獄だということに。



叫び声とともに、俺は目を覚ました。
勢い良くベッドに半身を起こし、声にならないうめき声をあげる。
心臓が早鐘を打ち、肺は酸素を求めてせわしなく動いている。
「はあ、はあ、はあ・・・・・・」
俺は何度も何度も荒々しく呼吸すると、あたりを見回した。
寝間着、清潔な白いシーツ、ベッド、しんと静まり返った安宿の一室。
ようやく現実の感覚が戻ってきて、再び大きく息をつく。
そのとき、
「いやな夢を見たのね?」
突然かけられた声に、俺は飛び上がりそうになった。
振り向くと、ナイトテーブルの横に女がいた。
俺はゆっくりと目を見開く。
ショルダーガードに黒いマント、黒ずくめの服をアミュレットで飾り立てた魔道士姿の女が
そこにいた。
何を忘れても、この女の姿を忘れたことはない。
「・・・・・・リナ、か・・・・・・?」
俺はのろのろとつぶやいた。
リナは静かに俺の側に歩み寄った。
ベッドの端に座ると、至近距離で俺の顔を覗き込む。
「ほかの誰に見えるの?」
その声、月明かりに照らし出された幼い顔立ち、暗いルビーのような両の瞳。
確かにリナだ。ほかの誰にも見えない。
「あんた、さっきまですごくうなされてたのよ。変な夢でも見たんじゃないの?」
リナは気づかわしげに俺を眺めていたが、ふと俺の様子に気がついて眉をひそめた。
「・・・・・・震えてるわね。寒いの?」
俺はうなずいた。
リナはさっと立ち上がると、備え付けのクローゼットの奥から毛布をとりだしてきた。
シーツの上にそっと毛布をかぶせると、俺を見つめた。
「ぜル、あんた具合悪いんじゃないの?」
「・・・・・・ああ、ちょっとな」
そう答えたものの、もはや全身を襲う寒気は耐え難いほどだった。
頭の奥がぎしぎしと痛み、体中の間接が悲鳴をあげている。
がたがたと震える俺の肩を、リナがそっと押す。
「横になるといいわ」
寝かしつけようとしたリナの手を制して、俺はリナを見つめた。
「嫌な夢を、見たんだ」
「・・・・・・うん?」
「出口のない迷路をずっとさまよっている夢だ。とても暗くて、地獄みたいなところなんだ」
「怖かったのね?」
「・・・・・・ああ。怖かった」
どこまで行っても出口がない石の迷宮。
まるで、おまえの人生なんてそんなものだと、希望などどこにもないのだと、誰かに嘲笑われている
ような気がした。
冷えきった絶望がまだ胸内に残っていて、体の芯が凍りついたように寒い。
ふいにリナの手がのびてきて、震える俺の手に触れた。
暖かく柔らかいその手は、遠い遠い昔に握り締めた手と同じ感触を俺の手に伝えてきた。
「それはただの夢よ、ゼル。地獄なんて存在しないもの」
「じゃあ、これも夢なのか?」
俺は寒さに震えながら言った。
「・・・・・・おまえは死んでいるんだろう?」
リナは黙った。
俺も黙った。
しばらく、長いような短いような沈黙が部屋を支配した。
「そうよ」
とリナが手を離しながら言った。
「あたしは死んだわ」


「じゃあ、俺も死んでいるのか?」
「まさか。あんたはちゃんと生きているわよ」
「俺を迎えに来たんじゃ、ないのか?」
「人を死神みたいに言わないでよね。そんなに心配しないでも、あんたはまだまだ死にゃしないわよ」
「じゃあ、どうして・・・・・・?」
「あんたが苦しんでたからね」
リナはあっさりと言った。
俺は何と言っていいのかわからず、口をつぐんだ。
「リナ・・・・・・」
「うん?」
しばらくの沈黙の後。
「おまえ、どうして死んだんだ?」
俺の問いに、リナが首をかしげた。
「誰かから聞いてないの?」
「ああ、聞かなかった」
「どうして?」
「聞きたくなかったから・・・・・・そのときは」
リナはふっと微笑んだ。
「そうね。聞かないほうがいいわよ、多分」
「あいつは・・・・・・どうするんだ」
リナはゆっくりと首をめぐらせて俺を見た。
『あいつ』が誰を指しているのかは、言わなくてもわかるだろうと思った。
「あいつは、あんたなしじゃ生きていけないんだぜ」
リナはふと瞳を伏せた。
その表情は、何かとても大切なものを思い出しているように見えた。
「もう、終わったのよ」
リナはゆっくりと言った。
「あたしはもうそっちの世界の人間じゃないもの」
俺は相変わらずがたがた震えながら、何かを言おうと思った。
おまえが死んだと聞いたとき、俺がひどくショックを受けたこと。
おまえの表情や仕種や声やおまえに関する記憶がいっぺんによみがえってきて、それらがもうこの世に
存在しないんだと思うと、泣き出したいくらい切なくなったこと。
遠い遠い昔、俺がおまえに抱いていた気持ちのこと。
それは反発であり畏敬であり恐怖であり羨望であり嫉妬であり憎しみであり愛でもあった。
つまるところ――つまるところ、それは恋によく似ていた。
だけど絶対に恋になり得ないことを俺は知っていたし、おまえも知っていたはずだ。
そう言いたかった。
なにもかも全部ぶちまけて、戻ってきてくれと言いたかった。
俺のためじゃなくてもいい、あいつのために戻ってきてくれと言いたかった。
あんなにおまえを熱愛していた男を置いていくのかと言ってなじってやりたかった。
だが、そのどれひとつとして言葉にはならなかった。
「そんな顔しないでよ」
リナが微苦笑しながら震えている俺の顔を覗き込んだ。
「どっちにしろ、そんなに大したことじゃないのよ。死ぬことなんて。肉体がなくなるだけだもの」
「・・・・・・」
「でも、あんたたちはまだこっちに来ちゃだめよ。あんたにはここはふさわしくないんだから」
リナはひとつウィンクをすると、腰掛けていたベッドから立ちあがった。
「さて、そろそろ行かなきゃね」
「・・・・・・リナ」
「ちゃんと、あたしのぶんのごはんを食べとくのよ。元気でね」
「・・・・・・リナ」
何を言うべきかわからず、ぼんやりとしている俺の手をリナが握った。
あたたかい、小さな手だった。
「――また、いつかね」
俺はリナの顔を見た。
リナも俺の顔を見た。
そしてにっこり笑った。
彼女は優雅に身をひるがえすと、部屋を横切ってドアを開け、出ていった。
とんとんとんという階段を踏む音が遠くなっていき、とうとう何も聞こえなくなった。
俺は毛布を頭までかぶって、ベッドのなかに潜り込んだ。


リナに握られた手は、いつまでも暖かかった。







*****************************************

幽霊リナちゃんでした。
それでは。



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8078Re:あるいはこんな夜の歌10/25-17:02
記事番号8073へのコメント

 両方とも読ませてもらいましたが、すっごく雰囲気が好きです!私、こういうのにすっごく弱くて(笑)。
 こういうゼルとリナの話、もっと読んでみたいんですけど少なくて…。だから読んだとき凄〜く!嬉しかったです。
 こういうとこに書き込むの始めてなんで『誰?こいつ』とか思われるかもしれませんが。
 もし不快に思われたら、ホントすいませんでした!(ぺこり)

 

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8096ありがとうございます。ひな 11/1-02:49
記事番号8078へのコメント

はじめまして、零さん。
ひなと申します。
こんな暗い話にわざわざ感想を寄せていただき、うれしい限りです。

> こういうゼルとリナの話、もっと読んでみたいんですけど少なくて…。だから読んだとき凄〜く!嬉しかったです。

ありがとうございます。私としても、ゼルとリナの「クールでデリケートな関係」
(と私が勝手に思ってるだけですが)が好きなのでしょっちゅう書いているのですが、
あまりそういうのが好きな方はおられないようなので、寂しい思いをしていました。
楽しんでいただけたなら本当に嬉しく思います。

> こういうとこに書き込むの始めてなんで『誰?こいつ』とか思われるかもしれませんが。
> もし不快に思われたら、ホントすいませんでした!(ぺこり)

いえいえ、感謝しております。
ありがとうございました。
また違う話も書いたので、おヒマでしたら読んでやってくださいね。

それでは。

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8095物語のための(前編)ひな 11/1-02:45
記事番号8066へのコメント

こんにちは。
ひなです。
またゼル話です。




***********************************






「ずいぶん、大時代な書斎だな」
四方の壁を本で囲まれた書斎に案内されながら、男は呟いた。
立ち止まり、ゆっくりと部屋を眺める。
どっしりした造りの机にはさまざまな資料が積まれ、アンティークな置物など
があちこちに置かれてある。
雑然と整然とが適度に入り混じった、持ち主の人柄を表すような書斎である。
男はすぐ脇に置いてある、薔薇のすかし模様の入ったランプを見つめた。
「……値打ちものだな」
「さすが、お目が高いですね」
この部屋の主が、にっこりと男に笑いかけた。
まだ30代前半といったところか。すらっとした体つきの、穏やかな印象を与える
青年だ。
「若いのに、アンティーク収集が趣味なのか?」
男の問いに、青年は微笑みながら言った。
「父が熱心な収集家でしてね。3年前に他界しましたが、そのときに譲り受けた
ものなんです。私は父ほどアンティークに興味はありませんが。……さ、どうぞ、
お掛け下さい」
青年に促されて、男はソファに腰をかけた。
先ほど挨拶した青年の妻が紅茶を持ってきて、目の前のテーブルに置いていった。
男の向かいの椅子に腰掛けながら、青年は言った。
「父は、一度だけリナ=インバースに会っています」
男は顔を上げた。
青年はにっこりと笑い、つづけた。
「父はここの魔道士協会に所属していました。当時、そこの学会に、リナ=イン
バースが呼ばれたのです。学者であった父は、リナ=インバースといくつか魔道
に関する議論をしたそうです。彼は死ぬまでそれを自慢していました」
男はしずかに青年を眺めた。
青年も男を見た。
そして、穏やかにこう言った。
「取材に応じてくれて、ありがとうございます。ゼルガディスさん」
「礼には及ばないさ」
ゼルガディスの謙虚な言葉に、青年は首を振った。
「いえ、申し訳ないと思っています。突然こんな申し出をして……。断られる
ことは覚悟していました。まさかこんなに快く引き受けて下さるとは思っても
みませんでした」
「おいおい、必ずしもお前さんのためというわけじゃないんだぜ。だからそんな
風な言い方はよしてくれ」
「と、いいますと?」
「……そうだな、つまり、そろそろ俺も昔のことに整理をつける時期がきたと
いうことなんだ。あいつがどんな人間だったか、俺たちがあいつをどう思って
いたか、あのときどんなことがあったか……。今はそういったことを改めて
考え直すいいタイミングだと思う。だから、引き受けたんだ。気にしないでくれ、
ジョシュワ……といったか?」
「ええ、ジョシュワ・トーマスです」
ゼルガディスはにやっと青年に笑いかけた。
青年もほっとしたように表情を和ませた。


その青年、つまりジョシュワ・トーマスがゼルガディスを訪ねてきたのは、
10日ほど前の、うららかな昼下がりのことだった。


さんさんとした陽光降り注ぐテラスで、ジョシュワは用件を説明した。

リナ=インバースに関する資料を編纂しているのです、とジョシュワは言った。
「5つの魔道士協会の共同プロジェクトとして、魔道士リナ=インバースに
関する資料を集めています。私はプロジェクトメンバーの一人としてこの仕事
に3ヶ月携わっています。かつてあなたが彼女と旅をしていたことを知って、
是非お話を伺いたくこうやって訪問した次第です」
ジョシュワが説明しているあいだ、ゼルガディスは何も言わずよく整えられた
庭の芝生を眺めていた。
ジョシュワはなテーブルの上に置かれたアイスティーに目もくれず、つづけた。
「ぶしつけなお願いであることは承知していますが、どうかお話を聞かせて
もらえないでしょうか。リナ=インバースに関する記録というのはとても
少ないんです。紙媒体の資料はそれなりに残されていますが、彼女が各国を
旅していた時期の記録はすっぽりと抜け落ちているのです。まるで、誰かが
封印をしてしまったみたいにです。当時の彼女をよく知る方で、現在連絡が
とれる方はほとんどいません。ですから……」
「俺に白羽の矢がたった、ということか」
ゼルガディスがつぶやいた。
「はい……」
萎縮しているのだろうか、ジョシュワはうなずいたあと、黙り込んだ。
ゼルガディスも黙っていた。
爽やかな日の光が若葉を照り光らせていた。
どこからか小鳥のさえずる愛らしい声が聞こえてくる。
穏やかな穏やかな昼下がりのなか彼らは二人きりでしばらく黙っていた。
「話せることよりも、話せないことのほうが多いな。それでもいいのか?」
ゼルガディスがぽつりと言った。
ジョシュワはうなずいた。
「はい、もちろんです」
「それに、案外つまらない話だぞ。少なくとも学術的研究に役立つような話
じゃあない」
「……承知、していただけるんでしょうか」
ゼルガディスはうなずいた。


日を改めて取材を行うことを約束して、ジョシュワは帰っていった。
それが、今日。
ゼルガディスはジョシュワの自宅兼研究室に案内されている。


「あの、プライベートなことをお聞きしてもよろしいでしょうか」
紅茶を啜りながら、青年はおずおずと切り出した。
「別に構わないさ。答えられる範囲で答えよう」
ゼルガディスはあっさりと答え、ティーカップを口元に運ぶ。
良い香りだ。
この青年の細君は良い紅茶を入れる名人らしい。
「はい、その、あなたは昔……つまり、リナ=インバースが生きていた頃ですが、
その……なんというか、体が……」
「キメラだった、ということか?」
言い渋る青年に、ゼルガディスが助け舟を出した。
「あ、……はい、そうなんですが……すみません、お気に触ったら……」
「いや、いいさ。気にしないでくれ」
痛々しいほど恐縮する青年を前に、ゼルガディスは苦笑するしかない。
「いえ、無礼な質問で申し訳ありません。もし、今でも気になさっていたら…
…」
「気にはしてないよ。そりゃ、昔はほんとうに気にしていたがな」
ゼルガディスはふっと笑った。
「現金なもんだ。体が元に戻って、結婚して、ふつうの暮らしをするように
なって……そうすると、昔のつらい記憶はずいぶん薄らいでくる。今では、
思い出すのも難しいくらいだ」
青年は真剣にゼルガディスの話を聞きいっている。
「リナがもし今の俺を見ても、きっと俺だとはわからないんじゃないかな。
顔かたちも、暮らしぶりも、すっかり変わってしまったからな。あの頃は、
もっと……」
何かを思い出すように口をつぐんだゼルガディスに、ジョシュワが身を
のりだした。
「詳しく聞かせてください」



ゼルガディスはそれから2度3度とジョシュワの取材に応じた。
取材といっても、ゼルガディスが当時の記憶をたどりながら思い出話をする
程度のものだった。
ジョシュワは時たま話の流れを軌道修正したり、質問を投げかけることが
あったが、大抵はゼルガディスの昔話におとなしく耳を傾けていた。


何度目かの訪問の、雑談のあいま。
ジョシュワがふいに思い出したように言った。

「彼女は、ずいぶん筆まめな方だったようですね」
ゼルガディスはぽかんとした。
「そうか? そんな話聞いたことないぞ」
「あれ、ご存じなかったんですか」
ジョシュワはちょっと驚いたように言うと、机の上に置いてあった紙の束を
持ってきてゼルガディスに見せた。
「彼女が旅先から郷里に送っていた手紙です」
ゼルガディスはその色あせた封筒を手にとった。
丁寧な字で、ルナ=インバースという宛名が書かれてある。
手紙はぜんぶで30通はありそうだった。
「知り合いの学者や魔道士に送った手紙もずいぶん残されていますよ」
ゼルガディスは首を振った。
「全く知らなかったな、あいつがそんなに筆まめだったなんて。人は見かけに
よらないもんだ」
「では、彼女の論文もご存知ない?」
「ああ、ほとんど」
「え、そうなんですか? 素晴らしい学問的業績を残しておられますよ」
「……それも初耳だ」
ゼルガディスは頭を掻いた。
「よく考えてみたら、俺は彼女のことをほとんど知らないのかもな。あの当時
は、ただただ頭はいいけどひたすら攻撃的で破壊的で破天荒なやつとばかり
思っていた」
「……相当、すごい人だったようですねえ」
ジョシュワが感心したように言った。
「まあ、すごいと言えばすごい奴だったよ。外見は子供みたいなくせに、いつも
目をぎらぎらさせていた。エネルギーに満ちていて、他人に有無を言わせない
ものを持っていたな。何と言うか、特別なオーラをまとっているような感じ
だった。一目見るだけで、こいつがどんなに異常な天才なのかということが
わかる、特別な人間なのかということがわかる、そんなオーラを身につけていた。
たとえ天地がひっくり返っても、泣き言なんか言わない女だと思ってた」
ゼルガディスはそこで口をつぐんだ。
そして、しばらく黙り込んだのち、口を開いた。
「どんなことがあっても、死なない人間に見えた」
ジョシュワは黙っていた。
「そういう幻想を抱かせるような女だったんだ。うまく言えないが」
「……いまでも、彼女に会いたいと思いますか」
ジョシュワが問い掛けた。
ゼルガディスは黙った。そして言った。
「ああ、会いたい」
すこしの間の沈黙。
「……ゼルガディスさん、こちらに来てみて下さい」
ジョシュワが屋根裏につづく扉をあけながら言った。
「いいものをお見せしましょう」




つづく。


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8148物語のための(後編)ひな 11/9-22:36
記事番号8095へのコメント

どーもこんにちは。
第二話です。



***********************************




「確かここにあったはずなんですが……」
すこしかび臭い匂いのする屋根裏の物置部屋。
古めかしい家具や人形、紙の束や本が雑然と置かれてある。
ジョシュワは窓脇に置かれている大きめの木箱を開けて、なかを探っている。
「ああ、あったあった」
木箱の奥のほうから、紫色の布に巻かれた平べったい包みをよっこらしょとばかりに
取り出して、近くの壁にたてかけた。
幅は男の腕の長さほどもあるだろう、結構大きな包みである。
「何だ、それは?」
「父が生前、古美術商から偶然に手に入れた品です。昨日の今日まで、すっかり忘れて
いました」
そう言って、ジョシュワはその紫色の布をそっと解いた。

それは、肖像画だった。
暗い緑色を背景に、一人の女が描かれている。
椅子に腰掛けた姿勢で、腰から上しか描かれていないが。
ゼルガディスは目を見開いた。
その姿は、誰あろうリナだった。
だが、彼の知っているリナよりももう少し大人びた顔立ちをしている。
服装も、ゆったりしたピンク色のローブという、およそゼルガディスが見たことも
ないようなものだ。
だが、それは間違いなくリナだった。
年よりはるかに老成して見える、落ち着いた表情。
ぎゅっと固く引き結ばれた薄い唇。
こちらを見据える、曇りひとつない意志的なまなざし。
それらのひとつひとつが、写実的なタッチで丹念に描かれてある。
まるで、彼女の魂の欠片を吹き込まれたかのように。

長いような短いような沈黙の後。
ゼルガディスはしずかに吐息を吐いた。
「……これは、誰が描いたんだ……?」
「それが、わからないのです。当の古美術商も、どこかの街の骨董屋で仕入れただけで、
持ち主も画家の名前も知らないと言っていたそうです。署名もありません。……ただ、
ここに……」
ジョシュワはキャンバスをひっくり返して、見てみろと言うようにその裏地の一点を
指差した。
ゼルガディスはジョシュワの指し示した場所を覗きこんだ。

半ばかすんだ文字で、そこにはただひとこと、"Love"とだけ書かれてあった。



「まだ、あの絵のことをお考えですが?」
「え? あ、ああ……」
ゼルガディスはジョシュワの問いかけにようやく我に返った。
もうとっくに日も暮れ、ふたりはジョシュワの書斎でウィスキーを飲んでいた。
ランプがオレンジ色の光を薄暗い書斎に投げかけている。
つい先ほどまでぼんやりしていたゼルガディスのむかいで、ジョシュワが両手の指を
組んで彼を見つめている。
「……あれを描いたのは、誰だったんだろうな」
ゼルガディスはグラスを弄びながら言った。
「画家がお気になるので?」
「いや、違う。気になるのはあの文字だ」
「ああ、それですか」
ちびりちびりと琥珀色の液体を啜りながら、ジョシュワは相槌をうった。
「誰かが後から書き足したのかもしれませんね。あるいは、当の画家が書いたのかも
しれません」
「……画家が?」
「たとえば、肖像画の製作中にリナ=インバースと恋仲になった、とか。陳腐ですが」
ゼルガディスは首を振った。
「それはありえんよ」
「……なぜ、そう言いきれるんです?」
「リナにはパートナーがいたからな」
「……ああ、ガウリイ=ガブリエフのことですね。あの二人の恋仲だったんですか?」
ゼルガディスはすこし考え込んだ。
そして言った。
「正直なところ、よくわからん。
親子のようにも見えたし、恋人同士のようにも見えた。
でも、たとえ男と女の関係じゃなかったとしても、あいつらはいつでもアダムとイブ
みたいにぴったりとくっついていたよ。とても仲が良かったんだ。
リナが他の男とどうのこうのあったっていうのは、ちょっと考えづらいな」
ゼルガディスはわずかに沈黙した。
ジョシュワもじっと黙って彼を見つめていた。
オレンジ色の光がゼルがディスの顔を仄かに照らしていた。
「だから、リナが死んだって聞いたとき……俺は、思わずガウリイの顔を思い浮かべたよ。
あいつはリナを真剣に愛していた。
それでいて、何ひとつリナに押しつけようとしなかった。
出来た奴だったんだよ、今考えるとな。
……それが、あんなことになっちまって。
あんなに幸せそうだったのに、あんなに簡単に終わってしまうなんてな。
あんなに……あっけなく、死んじまうなんてな」
からん、とグラスのなかの氷が小さな音をたてた。
ゼルがディスはしばらく黙って手のなかのウィスキーを眺めていたが、ふっと吐息を
もらすように小さく笑った。
「悪かったな。こんな話をするつもりじゃなかったんだ。
――まったく、年をとると感傷的になっていかんな」
「いえ、お気になさらないで下さい」
ジョシュワは控えめに答え、ふたたび黙り込んだ。
「――あるいは、」
そう言うゼルがディスの声は、ふだんのクールなトーンに戻っていた。
「あの二人はあのまま一緒にいても、何処にも行けなかったのかもしれないな。
リナは言わば、俺たちと永遠に交わることのない平行線みたいなものだった。
リナの世界にあったのは、闘争と、混沌と、世界に対する純粋な好奇心、ただそれだけだ。
だけど俺たちの世界には、これからも続いていく日常と、未来と、そして何よりも希望が
あった。
いつか幸福になれる、という希望だ。
リナはといえば、自分や他人を幸福にしようなんてことにまるで興味のない人間だった。
そりゃ、俺は俺なりにリナのことを気に入っていたし、凄い奴だったと今でも思っている。
でもな、やっぱりあいつの考え方なり人生観なりはどう考えてもまともじゃなかった。
ガウリイにとっては、相当きつかったと思うぜ」
「……一体どういう性格の人だったんですか?」
「ごくごく控えめに言うとだな、人格の一部が決定的に歪んでいた。
天才と狂人は紙一重っていうやつだ」
ジョシュワはすこしの間、考え込んでから言った。
「……よくわからないのは、もしリナ=インバースがあなたのように人格破綻者だったとして、
あなた方が半年弱彼女といっしょに旅をつづけていた――あるいはそうせざるを得なかった
理由です。
そのときの事件の概要はお話できないということですが、彼女とともにいることで生ずる
メリットが、彼女とともにいることで生ずるあらゆる危険性を凌駕した、ということですよね」
ゼルガディスは唇の端だけで笑った。
「ああ、俺も長いあいだその理由を考えてきたよ。
なんでこんなロクデナシといっしょに旅をしてるのか、自分でもよくわからなかった。
だから、ずいぶんといろんな言い訳をこねくりまわしてた。
どうしても人間に戻る手がかりがほしくて、そのためにリナを利用しようとしたんだ、とか。
でもな、結局のところ、あいつといるメリットなんかひとつもなかったんだ。
あいつとかかわってもロクなことがないのは俺自身が一番よく知っていた。
俺たちは若くて、怖いもの知らずで、あんたほど頭も良くなくて――
そして、リナが好きだった」
ゼルガディスはふいに目を細め、半ば薄れかけた過去の映像を眼裏に蘇らそうとした。
あちこちに死体の転がる、荒涼とした荒野。
研ぎ澄まされた剣がびゅっと空気を切り裂く音。
呪文を唱える、低い声。
断末魔の叫び。血しぶき。肉を断つ音。
びりびりと肌を震わせる、何とも言えない緊張感。
血の匂いを感じながら、俺はリナを見る。
彼女のぎらぎらした紅い目と爆風に踊らされる長い髪と薄い笑みを浮かべた唇を見る。
目玉までどっぷりと戦いに浸かってしまった顔だ。
そういうとき、俺はリナにとても強い感情を覚える。
胸の底から噴き出してくるような、熱く、激しい感情を。

「"Love"……か」
ゼルガディスは呟き、そしてかすかに肩をすくめてみせた。
「なかなか象徴的な言葉だと思わないか?
単なる挨拶代わりの文句のようにも思えるし、軽い愛情表現のようにも思えるし、
物凄く意味深にも聞こえる言葉だろう?
つまりは、あの当時の俺たちの関係もそんなだったのさ。
ホットなのかクールなのかあいまいで、シリアスになるかと思えばすぐにオブラートに
包んでごまかしてしまう、ジョークに紛れてうやむやにしてしまう。
本人たちにもそれがどんなものかわかっちゃいない、でも確かにそこにはそれらしき
ものがある。
"Love"と名のつくような種類のものがね」



帰り際、ジョシュワは彼に肖像画を引き取る気はないかと聞いた。
「私が持っているより、あなたの手元に置いておくほうがいいような気がするんです」
ゼルガディスはかぶりをふった。
「どっちにしろ、同じことだよ。あれは俺の知っていたリナじゃない。
あの絵は、誰にも気づかれないようにひっそりと愛を告白した、ナニガシのものさ。
――それに」
「それに?」
「あんなものを持って帰った日にゃ、女房に怒られる」



彼の記憶のなかのリナは、あの絵よりももっと幼く、笑ったり怒ったりと忙しく、
いつも抜けるような青空の下にいる。
ゼルガディスはその姿をあざやかに思い描くことができる。
リナはいつまでも若く、相変わらず戦いに明け暮れている。
彼は自分の気持ちがあの頃とちっとも変わっていないのに気づく。


それを、決して、愛とは言わないだろう。
今までも、これからも。





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おわりです。
はー。けっこう時間かかってしまった……。

このお話のなかのゼルは人間に戻っている、しかもけっこう年を取っているという
設定ですが、わたしの頭のなかではエド・ハリスをちょっとニヒルにしたような
渋いおっさんをイメージしてます。
いかがでしょう?