◆−危険な誘惑−キューピー/DIANA(4/7-08:03)No.1552
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  ┗危険な誘惑(終)−キューピー/DIANA(4/7-08:06)No.1554


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1552危険な誘惑キューピー/DIANA E-mail URL4/7-08:03


 これからお届けするのは、ちょっと変わったお話です。登場人物はゼルガディスとレゾとディルギアとその他若干名。それといっぱい虫が出て来ますので、虫が苦手な人は読まない方がいいかもしれません。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

創作スレイヤーズ:『危険な誘惑』 その1

 その岩山はまさに不毛を絵に描いたようなところだった。
 どうにか歩ける岩場の縁に、ところどころ雑草が頼りなく緑を覗かせている以外は、生き物の気配さえない。これまで人が足を踏み入れたことがあるのかどうかも疑わしい、道とも言えない足場を、二人の人影が進んで行く。
 荒涼とした風景の中、前を行く人影のまとう鮮やかな赤の色と、影のように従う白い人影の色の対比が、いっそう際立って見える。
 彼らは今、岩山の頂上に達しようとしていた。
 しかし、赤い人影は頂上より少し下で、歩く方向を変え、斜面に黒々とうがたれた洞窟があり、そちらに向かう。白い人影もついていく。
 洞窟の入り口で前を行く者が立ち止まり、後に続く者はその数歩後ろで控える。
 「ここが目的地か?」
 後ろから合成獣の魔剣士ゼルガディスが声をかける。
 「ええ。しかし、この洞窟をもっと降りたところが最終の目的地です」
 赤法師レゾは穏やかな声で答える。
 その洞窟は天然の氷室だった。少し入ったところから先の壁は氷で覆われ、天井からつららがいくつも下がっている。しかし、そのつららの不自然さにゼルガディスは注目した。まるで切り取られたように、天井から一定の長さの所で、すっぱりと断面を見せて、本来のとがった先端がない。
 「最近、溶かされたようだな。あんたの仕業か?」
 「おや、気がつきましたか?」
 「まあな」
 多分、レゾが最初ここに来た時、この洞窟はほとんど氷で覆い尽くされていたのだろう。赤法師はその奥にあるものが欲しくて、炎の呪文で道を開いた。だが、目的の物を前にして立ち往生したらしい。
 「で、この先にそのあんたが目指しているブツがあるって話だが?
 あんたでさえ取り出せないものを、どうやって俺に取り出させようってんだ」
 「それは現場で話しますよ(くす)」
 赤法師の言葉に笑いの成分があることに、ゼルガディスは悪寒を覚えるが、ここまで来た以上、レゾが何を手に入れるつもりなのか、見届けずに引き返すなどできない。黙って洞窟の奥に進む。
 やがて一番奥に着くと、そこは空間全体が氷で埋め尽くされている。『明かり(ライティング)』をつけると、氷の中に何か壷か瓶のようなものが閉じ込められている影が見えた。
 「あれか?」
 「見えますか?」
 「ああ。しかし、あれは何なんだ?」
 「それは、あなたには関係のないことです」
 レゾの返事に、ゼルガディスはいぶかしげに相手を見やる。どうもいつもと感じが違う。どことなく興奮して平静さを欠いているように見えるのだ。
 ──この氷の中に閉じ込められたもの……レゾがそれを手に入れたがっているのは分かるが……どうも賢者の石ではないようだが、こんなに熱心に求めるものとは何だ?
 「さあ、ゼルガディス、少し離れて」
 「はあ?」
 「その氷から離れて、通路を戻りなさい」
 「おい、いいのか?ここで俺に何かさせるつもりだったんだろう?」
 「ええ、そうです。そのために、あなたに少しここから離れてもらわなければなりません」
 「? ? ?」
 ゼルガディスは意味が分からなかったが、まともに教えてはもらえなさそうなので、とにかく言われた通り、今入って来た通路を戻りかけた。
 氷の塊から五十歩ほども離れた時。
 「!」
 灼熱を感じて振り返った彼は、たちまち猛火に包まれる。
 「くっ!?」
 思わずうずくまり、両手で目を覆ったが。どうやらただの炎の呪文だったらしい。黒魔術系の炎ならばともかく、ほとんどの火の精霊魔法ではゼルガディスの肌を焼くことはできない。
 溶けた氷が噴き上げる蒸気の中、ゆっくりと合成獣魔剣士は立ち上がった。湯気を透かして自分に呪文を放った相手を睨みつける。
 白い顔に浮かんだ穏やかな笑みが大きくなる。まるで嬉しくてたまらない、といった様子だ。
 次の攻撃の気配はない。それに、本気で自分を殺すつもりならこんな生半可な呪文を使うはずもないし、第一、手駒として価値を認められている自分が、殺されなければならない理由も思い当たらない。レゾのこの振る舞いには訳がある。
 「ほどよく暖まったようですね。では、こちらへ」
 「なに?」
 「今の呪文で、あなたの身体はかなりの熱を帯びている。その身体で氷を溶かし、あの壷を取り出しなさい」
 「……それが、あんたが俺に、手を貸せ、と言ったことか?」
 「そうです。火の呪文は制御が難しい。いくら私でも中の壷にダメージを与えずに氷を完全に溶かすのは無理です。こうして、何か熱したもので少しずつ溶かしていくのが安全です。さあ、早く」
 「ちょっと待てぇ!なんで俺なんだっ!」
 「そりゃ、岩は十分熱すれば、冷めにくいですから」
 「だったら、ただの岩でいいじゃないかっ!」
 「だって持ち運ぶのが大変じゃないですか。あなたなら自分の足で歩ける」
 「そんなの『浮遊(レビテーション)』を使えば済むだろう!」
 レゾがあきれたように首を振る。
 「この氷を溶かすのに十分な熱を持たせるには、どれほどの大きさの岩が必要だと思いますか?そんなもの、ここには入りきらない。
 手ごろの大きさの岩では、一度で壷まで氷を溶かすことはできない。いちいち岩を取り出して、また熱して氷に押し当てるのは面倒です。その点、あなたは自分の足で動くことができる」
 「……おい……すると、この……炎の呪文は一回じゃ済まないのか?」
 「ええ、そうです」
 「…………」
 「さあ、ぐずぐずしないで。早くしなさい」
 レゾが急き立てる。まるで菓子をせがむ子どものようだ。
 (俺はカイロか?)ぶつぶつ……
 小声で不平を漏らしながら、ゼルガディスは命じられるままに、壷を閉じ込めた氷の塊に近づき、熱くなった身体を押しつけた。たちまち、彼の身体の形に氷が溶ける。
 しかし、万年氷は固く締まっていて、レゾが言う通り、目的の壷にたどりつかないうちにゼルガディスの身体は氷の温度まで冷えてしまった。
 ばりばり、ぴきっ
 氷が溶けた水で濡れた身体は、ぐずぐずしていると氷に張りついてしまう。彼は、吸いつくように絡んでくる氷を力任せに砕いて、氷の塊から離れる。
 「やっぱり一度じゃ無理だな……」
 「そりゃそうでしょう。じゃあ、もう一度♪」
 「もう一度って……おいっ!その音符マークは何だっ!」
 「え♪」
 「(ぞわっ)……何を浮かれてるんだ。気味が悪いぞ」
 「いやいや……この壷の中にあるものがもうすぐ手に入ると思うと……ついつい嬉しさがこみ上げてきましてね♪」
 「(ぞくぞくっ)そ、そんなに喜ぶほどのものって……何なんだ?」
 「だから、あなたは知らない方がいいですよ(くすくす)」
 赤法師は笑みを大きくして、錫杖でゼルガディスを通路の方へ急き立てる。岩の肌をした若者は、しぶしぶまた通路を進み……
 そしてまた呪文で吹き飛ばされる。
 「おいこらっ!火炎球(ファイアーボール)はやめろっ!」
 叩きつけられた壁から身を起こしながら、ゼルガディスは怒鳴る。
 「そうですか?ワンパターンよりは楽しめると思いますが?」
 「何を楽しめって言うんだ……」
 「さあ、早く壷を♪」
 「分かったから、その音符はやめろっ!」
 「どうしたんですか?ずいぶん機嫌が悪いですねぇ」
 「知るかっ!」
 これ以上言葉を交わしていると気がおかしくなりそうだ。ゼルガディスはさっさと終わらせてしまいたくて、また氷に身体を押しつける。

 また身体が冷えて、今度は炎の矢(フレア・アロー)の連射を浴びせられた。
 その次は、烈火球(バースト・フレア)をお見舞いされそうになり、抗議して炎霊滅鬼衝(ルーン・フレイア)に切り替えさせた。
 そして、ようやくゼルガディスは目的の壷を手に入れた。
 「ほら、取れたぞ」
 「ああ、これだこれだ(ルンルン)」
 どて。
 壷を抱えて小躍りする赤法師の足元で、ボロボロになったゼルガディスがこける。
 「おや、大丈夫ですか?(にこにこ)」
 「身体は大丈夫だが……」
 精神的ダメージは尾を引きそうだ。
 「ゼルガディス?」
 レゾがひざまずき、壷をそっと地面において、うずくまる魔剣士の肩に手をかける。
 「さわるなっ!」
 乱暴に振り払ったものの、ゼルガディス自身も自分の身体の異常に気づく。
 「なっ、なんだっ、これは!?」
 全身の肌が細かくひび割れし、そこから血がにじみ出している。青黒い彼の肌にはいくつも赤い筋を描いたようだ。
 「ああこれは、急激に熱したり冷やしたり、を繰り返したので、表面の強度が弱まったせいでしょう。使ったばかりの土鍋をいきなり氷水に突っ込むと割れるのと同じ理屈ですよ」
 「おい……誰のせいでこうなったと思っているんだ!」
 「はいはい、分かっています。すぐに手当てしますよ」
 「まったく……」
 レゾの唱える『治癒(リカバリィ)』で、ゼルガディスの身体のダメージは回復した。
 「これでもう大丈夫でしょう……ところでゼルガディス、あなた服をどうしました?」
 「服?」
 「今、触ってみたら、あなた、ほとんど裸でしょう?」
 「……そんなもの、とっくに焼け落ちたよ」
 「え?」
 「だ・か・ら!あんたの呪文で、俺は服は燃えちまったの!」
 「……それは困りましたね。着替えも用意していないし……」
 「それくらい配慮しろっ!。最初から炎の呪文を使うことは考えていたんだろう!?」
 「う〜ん、これはまったく私の落ち度です。申し訳ありません」
 「いくら謝られてもなぁ……」
 いつもなら、物事の先を読み、こちらの出方も完璧に予想して、否応なく従わざるを得なくなるほど、念入りに手を回すレゾの行動とも思えない。まるで、思いつきをそのまま実行し、結果にうろたえているようだ。
 考え込むレゾから、ゼルガディスは地面に置かれた壷に視線を移す。人間の視力なら、形さえ見極めるのが難しいほどあたりは暗いが、合成された邪妖精(ブロウ・デーモン)の鋭い五感のおかげで、彼の目には表面の文様も見分けがつく。
 ──あれは!?
 その表情に緊張が浮かび、すぐに消える。なるべく感情を出さないようにしながら、レゾをうかがうと。赤法師はようやく事態に結論を出した。
 「しかたがありませんね。私があなたの着替えを取りに行って来ましょう。しばらくここで待っていてください」
 「……ああ、壷はどうする?」
 「これは私が持って行きます。研究所に寄って保管しておきますから、少し回り道になるでしょう。戻ってくるのは夜になると思いますが、いいですね?」
 「ああ、かまわない」
 ゼルガディスが返事をすると、レゾは壷を抱えてそそくさと立ち上がる。
 赤法師を見送ってしばらくして、ゼルガディスは口の端に意地悪い笑みを浮かべ、壁にもたれかかる。
 「そうか……レゾはあれが欲しかったのか……」
 左手で口を覆うが、それでも忍び笑いが漏れる。
 「俺がこのことを知ったと分かったら……レゾのやつ、どんな顔をするかな?」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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1553危険な誘惑(続)キューピー/DIANA E-mail URL4/7-08:04
記事番号1552へのコメント

創作スレイヤーズ:『危険な誘惑』 その2

 レゾは研究所には向かわなかった。岩山を降りると真っ先に向かったのは、研究所から少し離れた森の中にある、石造りの小屋である。木こりが山仕事の道具などを閉まっておくために立てたものらしいが、今は誰も使っていない。レゾは少し前からこの小屋に目をつけ、窓や扉を直して、自分が許した者以外は出入りできない、頑丈な作業場に使っていた。
 扉を開け放ち、小屋に入ったレゾは、部屋の中央に置いたテーブルに、大事そうに壷を置く。表面を両手でなで、ふたを閉じている封印を確かめる。
 赤法師の唇の笑みが大きくなったちょうどその時。
 「レゾ様」
 「!」
 突然、背後から呼びかけられ、レゾははじかれるように振り返った。その慌てぶりに、声をかけた方も驚く。
 「ディ、ディルギア?」
 「はい、そうです。森を歩いていたら、レゾ様があまりに急いでいるのを見かけたんで、何かお手伝いでもできたら、と思いましてね」
 狼とトロルのハーフが、レゾが背後に隠している壷を覗き込みながら言う。野心家のディルギアは、ふだん、自分を顎で使っているレゾが、珍しく動揺しているのが面白く、好奇心を顔いっぱいに表しているが、目が見えないレゾには、その表情までは分からない。
 何よりも、見られたくないものを見られそうで、浮き足立ち、一刻も早くこの邪魔者をここから遠ざけなくてはならない、と考えをめぐらせた。
 「いや、ディルギア。……今、あなたに手伝ってもらうような仕事はありません。それより早く、ここから出なさい」
 「え?はあ……」
 「いいから、出なさい。ここは危険です」
 「えっ?危険って?」
 レゾはテーブルの上に壷を置いたまま、ディルギアの右腕を捕まえて戸口まで引っ張って行く。
 「今、私があの小屋に持ち込んだ物は……薬の材料なのですが、今の段階では猛毒なのです。フタをあけて中の匂いをかぐだけで……いいえ、下手に近づくことさえ致命的なほどの強力な毒です」
 ディルギアの耳が、警戒で後ろに倒れる。
 「ですから、誰もこの小屋に入ってはなりません。いいですか、すぐに立ち去りなさい」
 レゾはディルギアを小屋から追い出し、自分も出て扉を閉めるとそこを封印してしまう。小屋の窓にも外から『封錠(ロック)』をかける。
 その間に、ディルギアは森の中に姿を消していた。
 あたりに誰の気配もないのを確認したレゾは、一つ息をつくと、ゼルガディスのアジトに向かった。

 森の緑の中に赤い僧衣が消えてしばらくして。
 レゾが封印した小屋の後ろに、黒い影が忍び寄る。
 その影はゆっくりと小屋を一周すると、やおら、土台のすぐそばで地面を掘り始めた。

 「ゼルガディス、着替えを持ってきましたよ。ゼルガディス?」
 洞窟にレゾの声が響く。既に外も夜になって真っ暗闇だ。
 「お〜い?」
 いくら呼んでも返事がないので、レゾは仕方なく、呼びかけながら洞窟の奥に進んだ。中はすっかり冷え切っている。
 ぴき……ぴき……
 「?」
 氷がきしむ音を聞きつけ、レゾはそちらに手探りで歩み寄る。
 錫杖を突き出し、そのあたりの壁を探っているうちに、一箇所に奇妙な形の椅子のような隆起があるのに気づく。
 「なんだ?」
 直接手を伸ばし、触れてみると、それは氷でできた彫像のようだった。足を折り曲げ、ちょうど岩に腰を下ろした姿勢を取っている。右膝に右ひじを置き、その手で頬を支えて考えごとをしているポーズ……
 「まさか!?」
 彫像の頭がある、とおぼしき箇所に手を伸ばすと、触れたのは薄い氷に覆われた金属の糸!
 どうやらゼルガディスは、ここでじっとしているうちに身体に浴びた水が凍り、身動きできなくなったらしい。全身を氷で覆われ、口も閉ざされて声も出せないのだろう。
 (ゼルガディス、聞こえますか?)
 レゾは『思念波(テレパシー)』で呼びかける。これを送ると、相手の考えることが直接こちらに伝わってくる。
 (聞こえる。動けないんだ、なんとかしてくれ)
 (なんでこんなところでじっとしていたんですか?もっと出口の近くにいればよかったのに)
 (考えごとをしていたのと、人に見られるのが嫌だったんだ)
 (ここに近づく人間は私だけですよ)
 (うっ……それを言ったらミもフタもない……おい、何してる?)
 (え?いやぁ、氷の彫刻って神秘的でしょう?このまま持ち帰れないかと思いましてね)
 レゾは、ゼルガディスの足もとの氷を、錫杖で砕いていた。
 (このまま……って!おい!冗談はよせ!)
 (冗談ではありませんよ。さて、これで持ち上げられそうですね)
 赤法師が呪文を唱えると、凍った状態でゼルガディスの身体が宙に浮いた。
 (わーっ!やめろ、やめろってば!)
 しかし、レゾはゼルガディスの抗議を無視して、洞窟の出口に向かう。ゼルガディスは必死で心に念じた。
 (おいっ!俺をこのまま連れて行っても、途中で溶けちまうぞ!)
 (その時は、氷の矢(フレア・アロー)で固めてあげます)
 (冗談じゃない!やめろーっ!)
 ずどん。
 (てっ!)
 いきなり地面に落とされ、ゼルガディスはうめいた。
 (何すんだっ!勝手に持ち上げたり落としたりっ!)
 (私の頼みを聞いてくれますか?)
 (頼み?気味が悪いな。あんたがそんな風に下手に出る時は、かえって仕事は難しいものが多い。……だが、引き受けたらこの氷から解放してくれるのか?)
 (ええ、そういうことです)
 (まあ仕方なかろう。引き受けるよ)
 (……仕事の内容も確かめないで引き受ける、というんですか?それこそ気味が悪いですね?)
 (仕事の内容は予想がついている)
 (予想がついている、ですって!?)
 レゾが端正な眉をひそめて、ゼルガディスを見下ろす。
 (ああ、あの壷の中身を取り出し、処理をすること。違うか?)
 (……どうして……それを?)
 (壷に書いてあったんだ、文字が)
 (文字?なんて書いてあったんです?)
 (『倒竜毒の素』)
 (…………)
 なんてミもフタもない。壷に中身を入れた人間は、いったいに何を考えていたんだろうか……
 ふと、レゾは重要なことに気づく。
 (ゼルガディス!?あなたは『倒竜毒』のことを知っているんですか!?)
 (ああ、知っているし、十分興味もある。おい、俺にも分け前をよこせよ)
 (あなたも『倒竜毒』を!?)
 (何を驚いている。滅多にお目にかかれるものじゃないからな、興味を持ってもおかしくはあるまい?)
 (あなたのイメージに合いません)
 (その言葉、そっくり返すぞ。俺だってあんたが『倒竜毒』を求めるとは思ってもいなかった)
 (血は争えないってことか(ですか))
 語尾さえハモって同じセリフを心につぶやき、互いに硬直する。
 ひゅるるるるるるぅぅぅぅ……
 二人の間を、乾いた風が吹き過ぎる。
 (と、とにかく、このままじゃ俺も手伝いようがない。早く氷から出してくれ)
 (いいでしょう。さっきと同じ、火の呪文を使いますよ)
 (仕方がないな)
 「では……」
 (ちょっと待て!その呪文は!)
 「烈火球(バースト・フレア)!」
 レゾはさきほど使い損ねた呪文を叩きつけた。ゼルガディスは無事に氷から解放されたが、もう一度『治癒(リカバリィ)』をかけてもらわなければならなかった。
 ようやく身体の自由を取り戻し、ゼルガディスは服を身に着ける。
 「しつこいようだが、さっきの取引の件、忘れるなよ。さもないと、あんたが『倒竜毒』を独り占めした、って、その筋に言いふらすぞ」
 「……仕方がありませんね……」
 レゾがゼルガディスに対して折れることは珍しい。銀髪の若者は皮肉な笑みを浮かべる。
 赤法師は先に立ち、ゼルガディスのアジト目指して歩き始める。
 しばらく二人とも無言だったが、ゼルガディスがレゾの背中に声をかける。
 「俺のアジトに戻れば、必要な道具は揃うんだな?」
 「ええ、大丈夫です」
 「で、例の壷はどこにあるんだ?研究所には持って行かなかったんだろう?」
 「ええ。私専用の実験小屋があるんですが、そこにあります。表面に文字が書いてあったとは知りませんでしたから、下手に研究所に持ち返らなくて……」
 突然、赤法師が立ち尽くす。後姿に異様な緊張を読み取り、ゼルガディスが問う。
 「どうした?何か?」
 「その文字は……どのようなものでしたか?」
 「え?ごく普通のものだが?」
 「しまった!」
 レゾが急に道をそれて駆け出し、ゼルガディスが慌てて後を追う。出遅れはしたが、目が見えないレゾよりはすばやく、すぐに追いつく。足を緩めないまま、呼びかける。
 「どうしたってんだ!?」
 「小屋に壷を運んだところをディルギアに見られたんです!彼が表面の文字を読んでいたら……」
 「待てっ!落ち着けよ!普通のヤツ……いや、ディルギアが『倒竜毒の素』の意味を理解していると思うのか?」
 ゼルガディスの言葉に、レゾはたたらを踏みながら立ち止まり、向き直る。
 追いぬきそうになって踏みとどまった魔剣士が、さらに言葉を繋ぐ。
 「だろう?普通の人間でも『倒竜毒』のことは知らないのが当たり前だ。まして狼とトロルのハーフじゃあ、知っているはずはない」
 「そう……そうでしたね。つい、焦って……」
 「気持ちは分かるさ……どうする?はじめの予定通りアジトへ行くか?それとも一度、小屋を確かめるか?」
 レゾは白い形のよい指で顎をもてあそびながら考え込んだ。やがて顔を上げ。
 「一度、小屋を確かめたいと思います。あなたも一緒に来ますか?」
 ゼルガディスは片方の眉をぴくりと動かして答える。
 「ああ、あんたが許してくれるならその小屋に一緒に行こう。異状がなければそれからアジトに道具を取りに行けばいい」
 「そうですね。そうしましょう」
 夜の森の中を、赤い人影と白い人影が連れ立って進んで行った。

 レゾの実験小屋が近くなった。
 先を行く赤法師の歩調は変わらず足早だったが、従うゼルガディスはややもすると遅れがちだった。そして、とうとうたまらず前を行くレゾに走り寄る。
 「おい、ちょっと待ってくれ」
 声をかけながら右手を伸ばして赤い僧衣の肩を捕まえる。ふだんなら絶対にこんな振る舞いはしないし、レゾも許さないが、この時、合成獣魔剣士の声には真剣な響きがあった。
 「どうしたんです?」
 レゾが立ち止まり、振り返って尋ねる。
 「あんたは感じないのか?この森の……感情を」
 「森の感情?」
 レゾは顔を上げ、あたりをうかがうようにこうべを巡らせる。そして首をかしげてから、まじめくさった表情で言った。
 「ゼルガディス、感情というのは言葉や態度から推察することはできます。今、森が私に見せている態度は……つれない乙女といったところでしょうか?」
 「は?」
 「私は早く先に進みたい。相手もその先で待っている。それなのに深い茂みで邪魔してじらしてみせる」
 「茶化すなよ……こっちは真剣なんだ」
 「先に茶化したのはあなたです」
 「俺がいつ?」
 「森は生き物ではない。そんなものに感情などあるわけもないのに、突拍子もないことを言い出して」
 レゾの皮肉な口調に、ゼルガディスは押し殺した声で応じる。
 「森そのものは生き物ではないが、森の木も動物も生きている。地・水・火・風の精霊もいる」
 レゾは少しあきれたような笑いを浮かべる。
 「なるほど。森には感情はないが、生き物はそれぞれに感情を持っています。あなたはそれを感じ取れると?」
 「ああ、そうだ」
 「そうですか……まるで妖精のようですね(くっくっく)」
 ふだんならこの含み笑いには激怒するゼルガディスが、この時はまったく違う反応をした。さらに押し殺した声を絞る。
 「そう……俺の中の邪妖精(ブロウ・デーモン)の部分が感じるんだ。今、この森全体が緊張している。まるで戦いを前にして武者震いを覚えているような、そんな感じだ」
 レゾが眉をひそめる。ゼルガディスのこの真剣さはただごとではない。
 「それで……森が緊張している原因は何だと思うのです?」
 「分からないが……あんたの小屋はこの先にあるんだな?」
 赤法師は小屋のある方へ顔を向け、うなずく。
 「そっちの方向へ向かうほど、緊張感が高まっているんだ。何かこの先にある……これからは俺が先に立つ」
 レゾはしばらく無言だったが、やがてうなずいた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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1554危険な誘惑(終)キューピー/DIANA E-mail URL4/7-08:06
記事番号1553へのコメント

創作スレイヤーズ:『危険な誘惑』 その3

 今度はゼルガディスが前、レゾが後ろで、慎重に歩を進める。
 小屋が見えるあたりにたどり着いた時、ゼルガディスは素早く腕を広げてレゾを押し留める。
 「妙だ。小屋の壁が……」
 「壁が……?どうしたというんです!?」
 「しっ、静かに」
 ゼルガディスは邪妖精の五感のうち、聴力と視力を最大限に集中し、小屋の様子を伺う。
 実験小屋の壁に、なにやらうごめく物がある。彼の耳には、それらの動く音にまじってぶんぶんという振動音も伝わってくる。
 ついに、小屋の状況を把握し、ゼルガディスは思わず一歩あとずさる。
 「虫だ……」
 「虫!?」
 「ああ、蜂とか虻(あぶ)とか蟻……蜜に群がる奴らだ。それが小屋を覆い尽くしている」
 「なんですって!それじゃ壷は!?」
 「あんたはここにいろ。俺が突入する」
 レゾは錫杖を握り締め、唇を噛み締めてうなずく。
 ゼルガディスは顔を覆う布を引き上げ、フードを深くかぶる。
 「もし、手の打ちようがなかったら小屋ごと吹き飛ばす。あんたは結界を張っていてくれ」
 レゾの顔に無念の表情が走るのを目の端に見やり、ゼルガディスは走り出した。
 小屋にたどり着いても、どこが扉か分からない。至るところ、黒い虫で覆われている。彼は躊躇せず、両手を壁に伸ばし、虫をかきわけ、壁になんとか手をつく。腕に伝ってくる生き物を無視し、呪文を放つ。
 「黒魔波動(ブラスト・ウェイブ)!」
 どがあぁぁぁぁん!
 壁に穴が開き、突然のできごとに驚いた虫がどっと固まりになって飛び出してくる。とっさに横によけ、風の結界を張ってやり過ごす。
 まとまった固まりが出たところで、ゼルガディスはそのまま中に飛びこんだ。
 ただの暗闇に加え、虫がたかった屋内は、どこに何があるのかさえ判別できない。ゼルガディスは『明かり(ライティング)』をともした。
 不気味にうごめく黒い床の上に、倒れたテーブルらしい輪郭と、動物らしき固まりを発見する。さらに見回して、小屋の隅に壷らしき輪郭をみとめ、まっすぐに近づく。
 「魔風(ディム・ウィン)!」
 人間には傷をつけることもない風の呪文だが、ものの表面にたかった虫を吹き払うには十分である。すばやく、彼は壷を取り上げた。
 間違いない。レゾが氷の固まりから取り出した、例の壷。しかし、フタはなく、中身も空になっている。洞窟で持ち上げた時は、たしかに何か入っていたのに。
 風に追い払われた虫たちが、ゼルガディスの身体にたかって来たが、岩の肌には蜂の針も、蟻の酸もきかない。せいぜい小さい連中が動く感触がくすぐったい程度だが、それも触覚を抑えることで我慢できた。
 壷を小脇に抱え、小屋の中を見回したゼルガディスは、どうやって虫を追っ払うか、考えを巡らせた。こんな小さな命相手に大技を使うのは趣味ではない……
 突然、彼の視界の端で何かが動いた。そちらを直視して、凍りついたように立ちすくむ。
 全身に黒い虫をたからせたモノが、うめきともうなり声ともつかぬ物音を立てながら、彼の方へ這い寄ってくる。
 滅多なことには動じない魔剣士も、この光景の異様さに全身に弱い電流が流れるような戦慄を覚えた。壷を持ったまま、一歩あとずさる。
 「火炎球(ファイアー・ボール)っ!」
 持てる限り、最大限の力を込めて発動させた呪文は、狭い屋内ではじけ、圧力で石の壁すら吹き飛ばす。
 術者さえ巻き込まれたが、呪文障壁と岩の肌のおかげでダメージはない。まとわりついていた虫が燃え落ちたのがもっけのさいわいだった。

 風の結界を張って待機していたレゾは、音を遮断されて事態の推移を知る手がかりを断たれた状態だった。何がどうなっているのか。じりじりして待っていると、突然、大きな魔力の発動を感じる。
 それはゼルガディスが火炎球を放った瞬間だったのだが、レゾはもう待ちきれなくなって風の結界を解除した。
 爆風の余波に立ちすくむ。そこへ、逃げ惑う虫の群れが殺到してきた。
 虫たちは別にレゾを狙ったわけではなく、風に吹き飛ばされてたどりついただけのことだったが。あまりに多数の虫にたかられ、状況がわからないレゾはパニックに陥った。
 とっさに呪文を唱える。
 たちまち、大量の水がレゾの身体に降り注いだ。
 いや、降り注ぐ、などというなまやさしいものではなかった。まるで滝のように、後から後から水がレゾの身体についた虫を押し流し、奔流となって実験小屋の建つ空き地を飲み込み、森へと突進する。
 水は実験小屋を土台ごと押し流し、木をなぎ倒し、鉄砲水となる。
 ようやくあたりの様子をうかがう冷静さを取り戻したレゾの耳に、すさまじい濁流の音が届いた。レゾが生み出した大量の水が、巨大な蛇となり、森の木々を飲み込みながら斜面を駆け下っている。
 さらに、その斜面の下には集落が……
 レゾはあわててその場を逃げ出した。

 前触れもなく発生した鉄砲水は、集落に大きな被害をもたらした。
 治療魔法に奇跡的な技術を発揮するレゾは、当然のように援助を求められた。いささか後ろめたさを感じながら出かけると、人々が鉄砲水の原因について噂しているのが耳に入った。
 「んだば、あれはどっかのゴロツキ魔道士の仕業けぇ?」
 「そんだ。おらが聞いた話ではぁ、鉄砲水さ起きるちょっくらめぇに、爆発する音が聞こえたっちゅうからのぅ」
 「んでも、なしてその爆発と鉄砲水とが関係があるんだべ?」
 「雨も降ってねぇのに鉄砲水が起きるけぇ?誰かが魔法でどっさり水を作ったから起きたに違いねぇべ!」
 「あっ、それじゃその前の爆発で、火ぃでもついたのを消そうとすて……」
 「そうよ、おらが言いたかったのはそれだべ!」
 「はた迷惑なヤツだべな」
 「はた迷惑どころでねぇべ!見つけ出してとっちめてやらねば!」
 レゾは黙々と治療を続けながら、内心で冷や汗をかいていた。人々から賢者と崇められている自分が疑われる心配はまずないが、万が一バレたら、と思う。一刻も早くその場を離れたかった。
 「そういや、どっかから流れて来た彫刻みてぇなんが二つ、村の端に転がってるって本当だべか?」
 「転がってる、ゆうよりは、埋まっとる、ゆうた方があたっとるのう。人間と犬の像らしいちゅう話だべ」
 レゾはこの噂を聞きとがめた。ゼルガディスは実験小屋とともに流されてしまい、昨夜のうちに帰って来ることがなかった。もしかしたら……
 「その、彫刻が埋まっている、というのはどちらです?」
 「村の東の端だべ」
 「ありがとう」
 レゾは現場に出かけた。
 そこは泥が厚く堆積し、もともとの畑を無残に飲み込んでいた。その泥が既に固く乾き始めている。人の形をした泥の塊は、泥の海の上にほぼ仰向けになり、腰から下は見えない。犬の形をした塊は、犬掻きをする時のように頭を持ち上げていた。
 レゾは『浮遊(レビテーション)』を使って二つの塊を持ち上げ、ゼルガディスのアジ
トへ持ち帰った。

 「よくよくあなたは固まるのが好きなんですね」
 「別に好きで固まったわけじゃない」
 レゾの言葉に、ゼルガディスは苦々しく応じた。今、レゾは僧衣の袖をたすきでからげて、桶に満たした水でゼルガディスの身体にこびりついた泥を洗い流していた。最初に顔を洗ったので、彼は口がきけるようになったのだ。
 突然の水に押し流され、ゼルガディスは激流の中で失神し、気づいた時には身体を覆う泥が固まって身動きできなくなっていた。
 彼と一緒に助け出されたのはディルギアだったが、そちらは後回し、とばかりにまだ泥でカチカチに固まったまま、転がされている。
 「ところで、小屋へたどりついた後、あなたはどうしたんですか?」
 レゾがゼルガディスの肩から腕にかけて泥をぬぐいながら尋ねた。
 「一旦、壷を見つけて確保したんだが、虫が凄くてね。どうしようもなくて、火炎球で小屋ごと吹き飛ばしたんだ」
 「そうでしたか……」
 レゾは壷の中身が永遠に失われたことに落胆し、声も低くなった。
 「それにしても、虫を追っ払うためとはいえ、少しやりすぎじゃないのか?」
 「え?」
 もう片方の腕の泥をぬぐっていたレゾの手が止まる。
 「何も鉄砲水になるほどの水を作らなくてもよかっただろうに……」
 「……そんなことより、壷のフタを開けたのはやはりディルギアですか?」
 ゼルガディスは、話をそらそうとするレゾを皮肉っぽく見つめる。
 「たぶん、な。小屋にはヤツしかいなかったから」
 「あれには、壷の中身は匂いを嗅いだだけでも致命的な毒だ、絶対に近づくな、と言っておいたのに」
 ゼルガディスは腕が自由になったので、桶の中に自分から両手を突っ込み、指にこびりついた泥をこすり落とす。
 「そのセリフは逆効果だったな。人間には分からないだろうが、あの壷の中身は動物にはかなり強烈な匂いを放っていた。たとえフタがしてあっても、な。その匂いを嗅いだディルギア自身に害がなかった以上、ヤツがあんたの言葉を信用するはずがない」
 「えっ……それじゃ?」
 「たぶんディルギアは、壷の中身が自分には害がなく、食べられることに気づいたんだろう。あれだけ食欲を刺激する香りも珍しいからな。ヤツは食欲に導かれるまま、フタを開けたんだろうよ。『倒竜毒』の意味を知らなかったことは間違いない。知っていたらフタを開けたりするものか」
 ゼルガディスはいいながら、レゾの手から布を取る。手が自由になった以上、後は自分でやるつもりだった。レゾは彼の意図を察してたすきをはずした。
 「すると、壷の中身は全部彼が飲んでしまったのか!」
 「さあ、どの程度まで飲めたかな?いずれにせよ、虫が残っていたモノを吸い尽くしたんだろう」
 レゾが悔しそうに唇を噛む。
 「ディルギアめ……私の邪魔をしてくれて……」
 「で、どうする?トロルとのハーフだから、俺の火炎球のダメージからはもう回復しているだろうが……」
 ゼルガディスは少し離れたところに転がるディルギアへ目をやった。
 彼は、実験小屋で見た光景がどのようにしてもたらされたのかを考えた。
 ディルギアは、レゾが封印した小屋に忍び込み、壷を手に取って匂いを確かめたことだろう。動物は、匂いでそれが身体によいか悪いかを直感的に知る。
 こわごわとフタをあけ、さらに濃厚な香りに誘われて、一すくい舐めてみた。その美味に夢中になり、むさぼるように飲んだことだろう。
 フタが取られ、壷の中身が発散する濃厚な匂いは、小屋の板戸の隙間から森に漏れ出し、蜜に群がる虫たちを刺激した。『倒竜毒の素』は、虫を異様に興奮させるのだ。
 たちまち、小屋は虫に覆い尽くされたに違いない。ディルギアが気づいた時、小屋にも侵入していただろう。そして獣人は壷とともに虫にたかられ……
 全身に黒い衣をまとい、助けを求めて這いずっていたディルギアの姿を思い出し、嫌悪と共に戦慄を思い出す。ゼルガディスは一つ、身震いした。
 「ゼルガディス♪」
 「おわぁっ!」
 突然、浮かれまくった声で呼びかけられ、本気で一メートルは地面から飛びあがった。
 振り返ると、レゾがにこにこしている。
 「いいことを思いつきました♪」
 「な……なんだ?」
 「当分、ディルギアの食事は一日に一回、台所の残飯のみとすること。またふだんは便所の柱に鎖で繋いで逃げられないようにしておくこと」
 「おいおい、それじゃヤツに仕事はさせられなくなるぞ」
 「立派な仕事があるじゃないですか。便所掃除という」
 「……当分の間、って、どのくらいだ?」
 「当分の間です」
 「…………」
 それが、レゾの機嫌が直るまでの間、だということを了解し、ゼルガディスはうなずく。赤法師の陰険な仕打ちに嫌悪感はあるが、レゾとゼルガディスがこうむった損失を思うと、ディルギアに同情する気は湧かなかった。

 それから一ヶ月後。レゾがゼルガディスのアジトを尋ねて来た。
 「ディルギアはどうしています?」
 「相変わらずだ。言われた通りの処遇だ」
 「それはけっこう……」
 「おい、どこへ行く?」
 「ちょっと彼の様子を見に行くだけですよ」
 「…………」
 どうせ、陰険にいびるつもりだろうが……ゼルガディスはあきれ気味に心の中でつぶやく。
 彼は部屋に戻り、一冊の薄い書物を取り出す。タイトルは『世界珍味解説』。
 ページをめくり、ディルギアの悲劇のもととなったモノの項目を開く。

 倒竜毒……幻の珍味。名前は物騒だが、それを食べるために国をつぶした王や、家財を投げ打った美食家もいる。それほど高価なのは、作り方が難しいからだ。
 『倒竜毒』を作るには、通称『バカの木』と呼ばれる樹木の花の蜜を壷いっぱいに集め、それを大鍋いっぱいの湯で煮詰めて、もとの量の半分くらいになるまで濃縮させればいい。
 手順は簡単だが、実はこの過程で何人もの料理人が命を落としている。
 バカの木の蜜は、たくさん集めると独特の匂いと同時に、蜜に群がる虫を異常に興奮させる成分を発散するのだ。はんぱな数ではない蜂や蟻が襲ってくる中、長時間、鍋を煮続けなければならない。
 虫が入ってこられないように部屋を密閉してしまうと、空気が足りなくなる。空気穴を網で保護して調理に臨んだ者が、馬の毛で作った網が噛み破られ、蜂の大群にたかられて全身を刺され死んだ例もある。
 命がけで作られるという意味で『毒』という名を冠された、という説もあるが、そのおぞましいネーミングは、味そのものに由来している。
 『倒竜毒』の甘さは強烈、激烈、いや、致命的といってもいい。「黄金竜も一口で倒す脳天直撃の甘さ」と表現されるのもけして誇張ではない。
 どれほどの美食家であっても、おいそれと口にしないこと。命取りになること請け合いだからだ。

 「一度味わってみたかったな……」
 ゼルガディスは書物から目を上げ、開けた窓から赤法師が向かった方を見やりながらつぶやいた。ディルギアの泣き声が悲しげに響いていた。

創作スレイヤーズ:『危険な誘惑』〜End〜

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

このお話は、実は狂言「武悪(ぶあく)」の筋書きをもとにしています。そちらでは、主人が手に入れた水あめを、太郎冠者(たろうかじゃ)が主人の留守に食べ尽くしてしまい、その言い訳をする物語なので、本来だったらレゾとディルギアがメインになるはずだったのですが……結果はご覧の通り、です(笑)
これは去年の年末、某所で一度発表したものです。この度、自分のホームページを開きまして、一坪さんにリンクを張っていただいたお礼を兼ねまして、投稿させていただきました。これからもよろしくお願いします。