◆−Amaiden's Prayer−水晶さな (2005/10/29 22:12:32) No.17351


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17351Amaiden's Prayer水晶さな 2005/10/29 22:12:32



『姉さんに、会いたくないか?』
 久しぶりに姿を見せた父は、開口一番そう言った。
 その言葉は純粋な問いかけではなく、強要だと分かっていたが。
 やつれた父の顔は、幼心にも気を遣わせる程の様相だった。
『・・・はい、お父様』
 深々と頭を下げ、答える。
 承諾以外の言葉を、返した事などない。
 今までも、きっとこれからも。


 せわしない父の背中を見送って、
 彼女は寝台に腰掛けたまま天井を仰いだ。
 ただ姉に会いに行く訳ではない事が、おぼろげながら理解できる。
 理解はできるが――現実味は無い。
 当たり前かもしれない。自分は生まれてからまだ11年しか経っていない。
 寝台に仰向けに倒れると、腰まである髪が広がった。
『姉さんに、会いたくないか?』
 現実味のない、うっすらとした恐れだけが背筋を這う。
 何の為かなど、自分が知らされる事はない。
 知る必要もない。
 それでも。
『・・・あなたに、会える』
 一言だけを呟いて、彼女は目を閉じた。



 大地に滑空する鳥の影が落ちる。
 シルエットは翼こそ同じ形だが、その他の部分は人と同じだった。
 金色(こんじき)に輝く羽を背に持つ少女が、心地良げに目を細める。
「あー、自分の体って最高!」
 新しい主人、アメリアから頼まれた書簡を街まで届けた帰りだった。
 久方ぶりに己の身体を取り戻した解放感と爽快感を満喫しながら、
 聖獣ガルーダ――レディスは帰路を急いでいた。
「・・・・・・」
 ふと、前進を止める。
 妙な感覚を覚える。
 視覚に頼った所で何かが見える訳ではないが、それでも頭(こうべ)を左右に巡らせた。
「・・・マスター?」
 使い魔である彼女は、主と離れていてもある程度の場所は感知できる。
 その気配が唐突に失せて、レディスは戸惑ったように呟いた。


 木々の隙間に紛れるように駆け込んだのは何分前か。
 後方から追跡する気配は消えそうにもない。
 正面から対峙するにも、そうできない理由があった。
 徐々に動きを鈍くさせる右肩の重みに辟易しつつ、足を進ませ続けた。
「!」
 木々の葉に光が遮られ、足元がよく見えなかった。
 隆起した根に足を取られ、前方に身体が投げ出される。
 それでも何とか担いだ荷を庇い、背中から地に落ちた。
 上半身を起こし、腕を振った。
 早口で唱えた詠唱と共に、炎が空間を舐める。
 こちらに向かって伸ばされていた半透明の手が、燃え上がった。
 身体がまだ炎を抜けない内に、赤い光をまとわせた剣先を目測のままに突き込む。
 風船が弾けるような音がして――烈風が肌を掠めた。
 開けた視界に何もない事を確認して、ようやく構えを解く。
 振り返ろうとした瞬間、背中から貫くような痛撃が走った。
 衝撃に耐えられず膝を付き、それでも魔法を放とうと半身を捻る。
 空間にうっすらと浮かぶ影だけの輪郭。
 幼い娘の顔に表情は無く、
 透明な腕の先は彼の背に吸い込まれていた。
「アストラル――」
 唱える矢先、肺腑が燃えるように熱を帯びる。
 呼吸を止められ、脳髄を掴まれるような感覚に視界が揺らいだ。
「・・・・・・っ」
 漏れる息が言葉を為さない。
 失う間際の意識が、鼓膜を突く轟音によって無理やりに引き戻された。
 唐突に肺に流れ込む酸素。
 咽せ返って激しく咳き込むと、背中をさする手の平の感触。
「ゼル、大丈夫?」
 聞き覚えのある声は、最近旅の連れに加わった使い魔の少女だった。
「・・・レディスか。助かった」
 その姿を確認して、呼吸を整える為に地面に座り直す。
 周囲に首を巡らせ安全を確認すると、レディスもその前にかがみ込んだ。
「さっき襲ってきたのって、風の精霊シルフじゃない? なんで精霊に襲われるの?」
 咄嗟だったので攻撃してしまったと、今更ながらすまなそうに告げる。
「・・・いや、あれは契約されたシルフだ。侵入者に対して攻撃するよう命令されていたらしい」
 『侵入』という単語に、レディスが眉をひそめる。
「公道から外れた人目につかない場所に廃墟があって、アメリアが盗賊の住処かもしれんと」
「・・・ああ」
 そこまで聞けば先は分かると、レディスが説明を遮った。
「そうよ、マスターは!? 途中で気配がしなくなって探したんだから!!」
 思い出したように慌てだす少女に、ゼルガディスが心底悩んだように額に手を当てた。
 それから――先程転倒した際に地に横たえていた荷、もとい、
 担いでいた「それ」を指差した。
 レディスの目線が「それ」へと移り、再びゼルガディスへ戻ってくるまで数分を要した。
「・・・え?」
 呟いた単語はそれだけ。
 地面に横たわっていたのは、アメリアとは似ても似つかぬ、年端もいかぬ童女だった。



「・・・つまり」
 再三に渡る説明の上、レディスが眉間に皺を寄せたまま口を開く。
「廃墟に居たゴーストにマスターが憑依されて、尚且つ荷物の中のアルカトラズが反応して、マスターの外見を変えてしまったと?」
「それ以外説明がつかん」
 レディスというブレーキ役が居ない為、ゼルガディスと不仲のもう1体の使い魔――ブルーフェリオスは主の腕輪に戻されていた。
 その彼の荷である魔剣アルカトラズは、彼の武器だけではなく外見を変える役目を果たしていた。
「何てタイミングの悪い・・・」
 レディスが嘆息混じりに呟いた。
 童女の手首には腕輪がそのまま嵌められていたが、主の意思で命じないと使い魔は呼び出せない。
 この非常事態に欠員が出るのはどう考えても痛手だった。
「いや、でも、この状態で奴が出てきても恐らく事態は好転せん」
「いくらブルスと仲が悪くても、そういう事を堂々と言わないの!」
 家族に加わる気があるのかと使い魔に叱咤されて、ゼルガディスが気まずげに視線を逸らした。
 憤懣やる方なく腕を組んだレディスだったが、とりあえずはアメリアの身の安全を最優先としたのか、幼子の方に歩み寄った。
 横たわった童女の上半身を、壊れ物を扱うように抱き上げる。
 その顔は、やはりアメリアとは似つかない。
 年は恐らく十歳前後。柔らかな茶色の髪がゆるくうねり腰まで伸びていた。
 衣服の装飾から見ると大分年代の古い――そして高貴な身分である事が伺い知れた。
「ゼル、この服に付いた紋章分かる?」
 呼ばれて、ゼルガディスが身をかがめる。
 少し眉をひそめてから、記憶をたぐるように呟いた。
「剣に絡んだ薔薇・・・かなり昔に滅んだ、ニーザレント公国の国章だ・・・」
 言い終えた瞬間、まるで反応したように少女の蒼い目が見開いた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 まばたきを1つ、2つ。
「・・・おい」
 声に振り仰いだ矢先、ゼルガディスを直視した童女が固まった。
 その表情に怯えが見えたのに気付き、レディスが視界を遮るように割り込む。
「・・・レディ」
「ごめんねー怖いモノ見せちゃって。大丈夫よー」
 モノって何だと突っ込みたかったが、また思わしくない状況を引き起こすのは目に見えていた為口を閉じる。
「怪我はない? 痛い所は?」
 目線を合わせる為かがんで問うレディスに、やがて童女が首を横に振った。
「お名前は?」
「・・・・・・」
「分からないの?」
「・・・・・・」
「口がきけないのか」
「かなぁ」
 いくつか質問を重ねてみたが、少女が口を開く気配は無く。
「まるで緘黙症だな」
「カンモクショウ?」
「精神の病による病状の一種。無言症ともいう」
 霊体憑依が関係している為、この判断も正しくはないだろうがと付け加えて。
「・・・それはまぁいいとして、どこか近くの教会で祓った方がいいんじゃないのか」
「は?」
 ゼルガディスの言葉の意味が分からなかったのか、レディスが間の抜けた声をあげた。
「だから、祓いだ。憑き物落とし」
 繰り返して言い、少女を指差す。
 目をしばたたかせたレディスの表情が、唐突に険しいものに変わった。
「・・・なんでそんな薄情な事が言えるの!? 信じられない!!」
「・・・・・・」
 ある程度予想はしていたが、ここまでけなされるとは思ってもみなかった。
 溜息を挟み、仕方なく面倒な釈明を始める。
「・・・あのな、憑依が長引いてアメリアの身体に悪影響が出たらどうするんだ」
「え、うーんと、それは・・・それは何ともいえないけど・・・」
 痛い所を突かれ、レディスが迷った様子を見せた。
「でも、もし、憑依の相手が私だったら、マスターも同じ事を言うと思う」
「・・・・・・」
 アメリアの性格――もとい、セイルーン家系の性格を熟知している使い魔の発言に、二の句を告げられず。
「・・・どうしろと言うんだ」
 諦め顔で言う彼に許可を得られたと思ったのか、レディスがぱっと顔を輝かせた。
「満願成就こそ成仏への近道」
 人差し指を立てる演技まで付けて、
「助けてあげようよ!」
 まるで二代目アメリアのような台詞に、ゼルガディスが肩を落とした。



「ゼルー! 朝だよーっ!」
 毛布ごと転がされ、朝から顔面を地に擦った。
 昨日は予想外のトラブルの為町に辿り着けず、仕方なく野宿していたのだが。
「鳥類の朝感覚で起こすな! まだ日の出だろうが!」
 不機嫌極まりなく怒鳴ったが、レディスは悪びれる事なく胸を張った。
「前マスターの時は日の出には起きてたもん!」
「・・・」
 口論する気力も失せ、ゼルガディスが肩を落としながら毛布を丸めた。
「・・・アメリアはどうした。変化なしか」
「昨日と変わりないよ。でも夜にちょっとだけ会話できた」
「何だと?」
 顔色を変えるゼルガディスにレディスが肩を竦める。
「子供が眠ったほんの数分。この子は会いたい人に会えなかった無念で成仏できないんだって」
「その相手は?」
 レディスが首を横に振る。
「情報がそれだけじゃ探しようもないぞ」
「ゼルならきっと名前から調べてくれる筈だって。この子はロヴィエナ=クリス=バルド=ニーザレント」
 拳を握り力説する娘に、ゼルガディスが頭痛を堪えるように額を押さえた。
「名前が長いから、愛称はロビンちゃんに決定!」
 ロビンと呼ばれた童女は、未だ怯えた表情でレディスの陰に隠れていた。



「・・・どうしてこう厄介事が好きなんだお前らは」
「マスターは人助けが好きなの。それを厄介事って言うならゼルもその中に入るでしょ?」
 少し鬱憤を晴らしたかっただけなのだが、この娘相手にはそれも叶わないと悟る。
 苦々しい顔でゼルガディスが史料に目線を戻した。
 ニーザレント公国が滅びたのは古く、他国が侵略した問題もあり今では遺跡の跡形もない。
 故に近郊の街で史料を探す羽目になった。
 幸いにも親切な司書が目的の史料を手早く見つけてはくれたが、あまり得意ではない分野の古代文字に辟易した。
 嘆息しながらページをめくると、隣に分厚い本が差し出される。
 見上げると、レディスが得意満面の笑みでこちらを見ていた。
「ロビンの名前発見!」
「・・・は?」
 レディスの指先が示すページには、確かにその名前があって。
「・・・お前、この文字が読めるのか?」
「前マスターのお手伝いの為に勉強したもの」
 当然だと言いたげに胸を張る。
「・・・・・・」
 ゼルガディスがしばし黙考する。
「ちょっと待て・・・アルカトラズを探すだけなら、関知能力があるから別段古代文字を学ばなくてもいいよな」
「それはその、人助けの好きな家系だから」
「サラマンディラの旅が長引いたのは厄介事に・・・」
「今はロビンが先決!」
 首の向きをぐき、と戻された。
 納得のいかない面持ちで史料に目を移す。
「ロヴィエナ・・・ニーザレント公国14代目公爵の次女にあたる。11歳の時に帝国に輿入れして・・・」
「じゅういっさい!?」
 裏返った声を上げると、ゼルガディスの手の平で口を塞がれた。
「騒ぐな。頼むからアメリアと同じ手間をかけさせるな」
 嘆息混じりに言うと、拗ねたように口を尖らせる。
「だって・・・ねぇ、いくら政略結婚にしても幼過ぎるわよ」
 ゼルガディスにではなく、隣に腰掛けたロヴィエナに話し掛けたが、彼女は戸惑った表情を浮かべただけだった。
「この時代ではさして珍しい事じゃない。特にニーザレント公国からすれば帝国の存在は強大だ。存続を保つには姻戚関係を築くのが一番有効的だろう」
 ただ、と付け加えて。
「存続が危ぶまれて焦っていたようだな。長女を嫁がせた1年後に第2王妃として差し出している」
「・・・え?」
「姻戚関係は嫁いで終わりじゃない。子供を為さないと意味がないんだ。要するに長女には子ができなかったってことだ」
「・・・1年しか待たなかったの?」
「国の存続がかかっている時に1年は長い」
 それでもまだ唸っていたレディスを無視し、ゼルガディスがページを進めた。
「結局の所、帝国は連合国との戦いに敗れ滅亡。帝国と同盟していたニーザレント公爵はその地位を追われ、公国も又滅亡だ」
「輿入れが無駄になったわね」
「皮肉な事にな」
 それ以上の記述に意味はないと取ったのか本を閉じる。
「さて、ここからが問題だ。背景は分かったがこいつの会いたいという人物が史料に載っている筈もない」
 本人に尋ねても答える様子はない、と付け加える。
「ここは、場所的には元公国の地なんでしょ?」
「計測した事実はないが・・・そうと言われているな」
「もし会いたい人が故郷の人なら、近付けば反応するわよね」
 レディスがロビンを一瞥する。
「だろうな。という事は公国以外だ」
「公国以外でロビンが会いたい人・・・」
「嫁いだ肉親とかどうだ」
「ああ、お姉さんが先に嫁いで・・・って、輿入れ先の帝国? 何で、一緒に住んでた筈でしょ?」
「こいつの年、いくつに見える」
 指差され、ロビンがきょとんとした顔でゼルガディスを見返す。
「え?」
 レディスがまじまじとロビンを見つめた。
「10歳・・・前後」
「輿入れは11歳の時だ」
 ゼルガディスが椅子から立ち上がった。
「推測でしかないが、これが一番的を得ている。ロビン――ロヴィエナは輿入れの道中で殺害された」



「何で殺害されたって思うの? 事故じゃなくて」
 ゼルガディスの数歩前を進みながらレディスが振り返る。
 右手はロビンとしっかり手を繋いでいた。
「ロビンの居た場所は公道から離れていた上に精霊の監視が付いていた。輿入れを阻止したい輩がいたんだろう」
 その候補として挙げられるのは、帝国と敵対していた連合国。
 同盟を破壊すれば、その分だけ戦力は削ぎ落とせる。
「いい迷惑よね! ロビンは自分の意思と関係なくお嫁に行かされたっていうのに」
 まるで自分の身内のようにレディスが口調を荒げた。
 その言葉に反応してか、ロビンの視線は時折レディスやゼルガディスに向く。
 ――が、口を開く気配は相変わらずなかった。
「でも、第2王妃を待つお姉さんもきっと複雑よね。子供ができなかったからとはいえ、妹が来る事になるなんて」
 ロビンが悪いわけじゃないのよ、と言い添えて髪を撫でる。
「その時代、子を為さないだけで理由をつけ処されたりしたからな。実際妹の輿入れが決定した後、正王妃が唖(おし)になったという一説がある」
「・・・精神的ショックから?」
「いいや、一切口出しできないように声帯を潰されたんだそうだ」
 レディスが目を見開き――
 言葉が見つからないのか、口を開けたが声は漏れなかった。
「・・・あくまで、一説だ」
 口にして自分でも気が滅入ったのか、ゼルガディスが繰り返した。



 帝国廃墟と呼ばれるその場所は、住人が失せた後もその形状を保っていた。
 かつて栄華を極めた城の外観は見る陰もない程劣化していたが。
 ロビンの反応を窺うと、せわしなく辺りを見回していた。
「・・・ゼル、昨夜も少しマスターと話せたんだけど」
 口にするのをためらうように、それでも口を開き伝える。
「・・・急いで欲しいって。マスターじゃなくて、ロビンが危ないから」
「どういう意味だ?」
「元々力の無い霊体が、無理して動いてるから。下手をすると成仏する前に消滅しちゃうって」
「・・・後味が悪いな」
 言って、扉に手を掛けた。


 風化しかけた廃墟は、それでも戦火の後を色濃く残していた。
 明らかに人の手による破壊の跡。
 砂と化し始めた瓦礫を踏み、ゼルガディスが城の中へ足を進める。
「王は戦場で没し、勝ちに酔った連合軍はそのまま城を蹂躙した」
「その時に王妃・・・も?」
 ロビンに聞かれる事をためらうのか、レディスが小声で問う。
「逃げおおせたという話はない。帝国と誼みを通じていたニーザレント公国は連合軍から見れば敵だ」
 レディスの後ろに隠れるようにしていたロヴィエナが視線をさまよわせた。
「ロビン、会いたい人はここにいるの?」
 返事を期待せずに尋ねたのだが、予想に反してロビンは首肯する仕草を見せた。
「・・・え?」
「反応したな」
 レディスの手を自ら放し、彼女は弱々しい足取りながらも歩き出した。
 ともすればそれは、母を求める幼子のようにも見え――
 レディスが一抹の不安を覚え近寄りかけた時、ロビンの体が不意に仰向けに倒れた。
 思わず目を見張る。
 倒れたのではなく、倒された。
 その上にのしかかる半透明の精霊を視界に捉えて――
「シルフ!」
 怒りの表情を浮かべたレディスが、突き出した爪を精霊の顔面にめり込ませた。
 レディスの肘から先は、鱗に覆われた鳥類の脚へと変じていた。
 シルフの表情が歪んだ直後、体躯が膨張し破裂する。
 風船が割れるような破裂音と、それを上回る衝撃に耳を塞ぐ。
 内側から注ぐ熱による急激な膨張、そして自壊。
 背後に降りた気配を感じ、ゼルガディスが振り向きざまに抜き打ちを浴びせた。
 刀身を這う赤光が精霊の体を切り裂く。
 必然的に背後を振り返る姿勢になり、愕然とした。
 一瞬透明に見える精霊の体。
 だが半透明なそれらが重なり合えば視界を塞ぐ。
 周囲をぐるりと取り囲むそれらの存在に今初めて気付き、ゼルガディスが舌打ちした。
「隠れてやがったか」
「違う。ロビンに反応したみたい」
 ロヴィエナを庇うように抱え、レディスが周囲を見やる。
 意識を失ったのか、ロヴィエナはレディスの腕でぐったりとしていた。
「連れて飛べるか」
「飛べるけど、精霊より速くは・・・」
 無念そうに唇を噛む。相手が風の精霊というのはかなり分が悪い。
「道は開ける」
 ゼルガディスが言霊を紡ぐ。
「ブラム・ブレイザー!」
 矢継ぎ早に放った青白い光が、包囲網の一角を突き崩す。
 僅かに空いた隙間に、ロヴィエナを抱えたレディスが滑空した。
 後方ではゼルガディスが矢継ぎ早に攻撃を繰り返す。
 スピードを上げようとして、ふと玉座が視界に入った。
 思わず足が止まる。
 玉座の前に立つ、女性。その姿はシルフではない。
 だが精霊と同じように背景を透き通らせた体を持つ――
 ゴーストだった。
 憎悪を込めた眼差しが、レディスの身を貫く。
「・・・正王妃・・・?」
 呟きが届く筈もないのに、
 その言葉に反応したように彼女はいっそう顔を歪めた。
『お前さえ来なければ』
 身を刺すような声。
 彼女は口を開いてもいないのに、声が聞こえた。
 瞬間、背に被さる気配。
 振り返る間も惜しい。
「・・・っ!」
 ロヴィエナを抱えたまま宙で前転し、爪の伸びた足先がシルフの腹を薙いだ。
 溶ける体が空気に熱をもたらす。
『ロヴィ、エナ』
 呟きは、溶解が肩まで進んだシルフから漏れた。
『お前さえ、来なければ』
「・・・・・・!?」
『私が殺されなく、なる』
 頭部にまで達した溶解が、それ以上の言葉を紡がせなかった。
 ぐいと体を引っ張られる感触に視線をやると、目を覚ましたらしいロヴィエナがしがみついていた。
 その肩が見て分かる程に震えている。
「ロビン・・・?」
 宥めるように抱き締め、
 一つの仮説に行き当たり、
 その想像に足が震えた。
 それでも目を凝らして確かめたものは、
 王妃の首の、傷痕。
 誰かによってもたらされたものなのか、
 自ら望んでつけたものなのか、
 それにより、真実は全く異なる。
『妹の輿入れが決定した後、正王妃が唖(おし)になったという一説がある』
 それは、一説などではなくて――
「あなた・・・もしかして・・・」
 紡ぐ声まで震える。
「自分の声を代価に、精霊と契約したの・・・?」
 恐れなのか、怒りなのか、
 自分でも分からなかった。
「ロビンを・・・殺せと!」
 叫んだ刹那、不可視の力に打たれた。
 仰向けに倒れながらもロヴィエナを庇おうとすると、その瞬間感触が失せる。
「・・・!」
 頭上に翻る、アンティークドレスの裾。
 すがるような手を伸ばしたままの姿勢で、ロヴィエナの体が上昇していく。
 その腰をシルフの手に掴まれて。
「ロビン!!」
 指先が虚しく宙を掻いた。
「!」
 レディスが言葉を失った時、
 遠ざかるロヴィエナの眼差しに射抜かれた。
 それは助けを求める童女の目ではなく、
 自分の知る、強さを秘めた『彼女』の眼――
 ロビンの名を飲み込んで、
「マスター!!」
 レディスは、叫んだ。
 その名が呼び起こすように、
 目覚めるように、
 ロヴィエナの瞳が『力』を宿した。
「――ラ・ティルト!」
 唱える言霊が白焔を生む。
 自らを捕らえたシルフを焼き尽くすと、身を捻りざま正王妃を視界の内に捕捉した。
 竦んだ一瞬を逃さない。
「ブラム・ブレイザー!」
 撃ち出された光が正王妃の肩を貫く。
 硝子のこすれるような悲鳴をあげ、霊体が膝を折った。
 着地したロヴィエナ――アメリアが、聖印を宙に刻んだ指先を正王妃に向ける。
「貴女も、ロヴィエナも、戦争の被害者である事に変わりはない」
 貫かれた肩を押さえ苦悶の表情を浮かべる彼女に歩み寄り、
「それでも、貴女のした事は許されない行為です」
 ロヴィエナは、とアメリアは続ける。
「自らが嫁ぐ事さえ知らされていませんでした」
 正王妃の真正面で、ひざまずいた彼女の頭上に手を掲げる。
「フェリシア=ニース=バルド=ニーザレント」
 広げた指先から光がこぼれ、
「それ程までに望むのなら、帝の下へ行きなさい」
 言霊が導くままに正王妃の身を包んだ。
 足元から霧が溶けるように消失が始まり、
 その表情は苦悶から悔恨へと変わり始める。
 それでも、最後にアメリアをねめつけて、
 声にならぬまま唇だけを動かした。


 ――愚かだとか、誤っているとか、
 そんな事はとうに、分かっていたのだと――



「マスタ・・・」
「まだです」
 喜悦の表情を浮かべかけたレディスを制す。
 ロヴィエナの姿のまま、アメリアは自らを抱き締めた。
 己から剥がれ落ちようとする、ロヴィエナを留めるかの如く。
「まだです・・・ロヴィエナ・・・何の為にここまで・・・」
 ふらつく姿を見かね、レディスが腕を差し出そうとすると横から伸びた手がアメリアを掴んだ。
「ゼル」
 いつの間に来たのかと、辺りを見回すとシルフ達の姿が消えている。
 あれ程周囲にひしめいていたというのに。
「召喚者が昇天したんだ。契約は終了だろ」
 首を傾げているレディスに告げると、ゼルガディスがアメリアの口元に耳を寄せた。
「行き先は」
 息を荒げていたアメリアが、かすかに唇を動かす。
 掠れた声が「地下牢」と呟いたのをようやく聞き留めた。



「・・・ウィル」
 地下牢の前に立った時、その声ははっきりと聞こえた。
 アメリアから――しかしアメリアの声でなく、
 姿通りの、まだ幼い童女の声。
 牢の中には、
 鎖に繋がれたまま果てた白骨と、
 その前にうずくまる青年のゴーストが居た。
「ウィル」
 呼びかけに、すがるような声に。
 少年らしさを残した面差しがこちらを向き、
 双眸が驚愕に見開いた。
「ウィル」
 鉄格子の隙間を腕がすり抜ける。
 レディスが口を開きかけ、ゼルガディスの手で塞がれた。
 アメリアの体を格子の前に残し、
 ロヴィエナが――霊体のみが牢の中へと進んだ。
 糸が切れたように膝を折るアメリアを、後ろからゼルガディスが抱き留める。
「ウィル!」
 差し出されたロヴィエナの腕を、
 青年の手が受け止め、
 小さな体を慰撫するように抱擁した。
「・・・ロヴィエナ様・・・申し訳ございません・・・」
 背中に回した手が痛い程互いを締め付ける。
 一言も口を聞く事の無かった童女は、全身を震わせて嗚咽を上げた。
 長い間堪えていたものを、全て吐き出すように。
「・・・二度と・・・姫様を一人には致しません。ウィルが側におります・・・」
 腕の中のロヴィエナはそのままに青年が顔を上げ、
 涙混じりの笑みで、謝辞を述べた。
「・・・この城は、朽ちます。願わくば恩義ある巫女様にもう一度」
 二度と誰も目覚めぬよう、鎮魂の祈りを――
「導きは」
 要りませんと彼は答えた。
 道は知っている。ただロヴィエナを置いては行けなかったと。
「・・・二度と」
 足元から薄く溶け始めた彼らに、
「手を離すな」
 ゼルガディスが呟き、
『はい』
 答えが聞こえた時、既に姿は消えていた。

 光の粒が尾を引いて、やがてそれも消えて、
 アメリアの目がゆっくりと開いた。



 ロヴィエナが輿入れの道中にさらわれ、精霊によって監禁されていたのはゼルガディスの推測の通りだった。
「ただ、正王妃も妹を殺害しようとまでは考えていなかったようです」
 しかし小屋に監禁しているさなかに、帝国の崩壊は訪れた。
 正王妃もその時に亡くなったが、妄念を捨てきれず地に残り――
 精霊もそのままに、ただ召喚者の命令を守り続けた。
「正王妃は・・・そんなに妹が第二王妃になる事を恐れたのかな」
 レディスが呟き、アメリアがふと視線を宙にさまよわせた。
「正王妃の魂を導いた時、彼女の思念が流れ込んできました」
 それは、胸を裂くような痛みと悲しみ。
「彼女は――身ごもっていたそうです」
「・・・・・・」
 レディスが口を押さえ、ゼルガディスが「そうか」と頷いた。
「妹の婚姻が決定した後に、正王妃の懐妊が発覚した・・・だが国事を今更撤回する訳にはいかない」
 痛切な表情を浮かべ、アメリアが首肯する。
「だから彼女は・・・間違っていると知りつつ自分の行動を止められなかった」
「牢に居た男の人は?」
「あの人はフェリシア正王妃の侍従です」
 一時同じ体で共有した、ロヴィエナの記憶をたぐる。
「家族すら疎遠な関係だったロヴィエナに、唯一愛情を注いでくれたのが彼――ウィルでした」
 亡くした妹に似ているのだと、記憶の中の彼は言った。
「投獄されたのは、正王妃の行動を諫めようとでもしたのでしょう」
「牢に入れられて、それでも」
 レディスがうつむきがちに呟いた。
「それでも・・・待ってたの?」
 国が滅び、
 城が朽ち、
 肉体を失っても、ロヴィエナを置いてはいけないと――
「だから・・・連れて行きたかったんですよ」
 息を吐き、天を仰ぐ。
 高い空は澄んで、目を刺す程に蒼かった。
 それからゼルガディスに向き直り、頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしました」
「全くだ」
 いつもと変わらぬ仏頂面で言い、額を軽く小突かれた。
「レディスも、アメリアを助長するような真似をするな」
「なんでっ!?」
 急に話を振られたレディスが裏返った声を上げる。
「今回はたまたま無事だったからいいが、アメリアに危害が及んでたらどうするつもりだ。使い魔なら主人を第一に優先しろ」
「・・・・・・」
 うなだれたレディスを見て、アメリアが仲裁に入る。
「今回レディスは私の意志を汲んでくれただけです。勿論私が間違った事をしようとした時は諫めて欲しいですが」
 「ですが」と重ねてから再び口を開く。
「ウィルさんのようになって欲しくはありません」
「・・・・・・」
「レディスは、レディスの信念に従って下さい」
「・・・あたし」
「前マスターはそうできるように、貴女達を育てた筈です」
 教え込み学ばせるのではなく、
 自らが学ぶ機会を与えた。
「ロヴィエナを助けたいと思ったのは貴女の気持ちですね?」
「・・・うん」
 しばし考えて、こくりと頷く。
「なら、それでいいんです」
 微笑むと、アメリアが帰路に爪先を向けた。
 既に先を歩いていたゼルガディスを追うように、小走りで。
 その後を更に追いかけながら、ふと忘れていた事を思い出した。
「ねぇ、マスター」
「はい?」
「ブルーフェリオス、いつ出してあげるの? かなり腕輪の中でふてくされてるんだけど」
「・・・・・・」
 アメリアが沈黙の後に頭を掻いた。
「分かってたんですけどね、どのタイミングで出しても文句を言われそうでどうしようか悩んでました」
「こういう時は唯々諾々とした使い魔のがいいんじゃないのか」
 ゼルガディスの皮肉に、

 ――ただ苦笑いを浮かべるしかなかった。