◆−弔曲1〜6−蝶塚未麗 (2006/4/7 15:26:28) No.17569 ┣弔曲7〜11−蝶塚未麗 (2006/4/11 15:24:04) No.17578 ┗弔曲12〜15−蝶塚未麗 (2006/4/13 14:23:15) No.17583
17569 | 弔曲1〜6 | 蝶塚未麗 | 2006/4/7 15:26:28 |
マエガキ オリジナルファンタジーの投稿です。 全15章構成になっていて、今回は1〜6章の投稿です。 全部で四回くらいに分かれると思います。 全体の分量は、原稿用紙約80枚、文字数約2万文字、二段組ノベルスの本になったら40ページくらい、文庫本だったら60ページくらいです。 ――弔曲―― 1 空腹に目が覚めた。 少し寒気がする。風邪をひいたのかも知れない。 最近、少し体力が衰えて来ているような気がする。 だが、どうせ人間を食えば治るのだ。 村はこの前襲ったばかりだが、くだらない決まりなどよりも身体の方が大切だ。 俺は腕と腹に力を入れ、草を敷き詰めて作った寝床から這い出す。岩の地面を踏み締め、暗い洞穴を外に向かって歩き出した。 2 外は夜だった。 強い風が音を立てて吹き荒れている。深い夜の底、上背のある草がさも苦しげに舞い踊っていた。 気温はかなり低そうだが、雨は降っていない。 ほっそりとした三日月が中天に張りついており、星があちこちで瞬いていた。 俺は鎧穴の方へ歩いていった。鎧穴とは文字通り鎧を捨てる穴のこと。これまでに俺を退治しに来た侵入者どもが身に着けていた武具を捨てるための穴だ。 草を掻き分けて進んでいく。 空の一角には夜の闇とは桁違いに濃い、漆黒の濃霧が立ち込めている。この俺でさえ畏怖するほどに無気味な霧。それが、すぐ近くにある大きな岩山から発生し、山全体を覆っているのだ。 愚かな侵入者どもは、俺が術を使ってあの霧を生み出したのだと思い込んでいるが、それは全く違う。この黒い霧の方が俺を生み出した。 この霧こそが俺の父にして母なのだ。そのせいなのか俺の皮膚も闇に溶け込むように黒い。 生まれたその瞬間から俺は今と同じだけの力を持っていた。 俺には経験を積んでの成長はあっても、肉体的な成長はない。 俺はこの状態のまま永遠に生き続ける。繁殖ができない代わりに生き続けるのだ。誰かに息の根を止められでもしない限りは。 そのことに不満はない。永遠を求めながらも心の底では厭う人間とは違い、単調な日々を苦と思うこともない。間違っても自ら死を望むようなことはしない。 俺はまだまだ若造だが、後何百年、何千年経とうが今と同じ気持ちを持ち続けることだろう。 鎧穴はそう離れた場所にはない。よってすぐに辿り着いた。ねぐらになっている洞穴と同じような穴の中に俺は入っていく。 一本道の一番奥、やや開けた場所になっていた。戦利品はそこに山積みとなっている。 俺は呪文を唱えて明かりの術を使った。俺は生まれつき術を使うことが出来る。技量はそれほど大したものではないが、持っている術はどれも役に立つものばかりだ。 鎧や盾、槍や剣などの武器防具。ほんの少しだけだが、今でも使えそうなものも残っている。金属製の盾の中などには、ピカピカに光って俺の醜い怪物の姿をくっきりと映し出しているものもある。 とはいえ実際に使うことは出来ない。 俺の両手の先には人間のような手はなく、大きな一本の爪になっているため、武器どころか何かしらの道具を持つには、両方の爪で挟み込むようにする必要があり、その持ち方では実に不安定である。鎧を着込む作業ももちろん不可能だ。金属の鎧だったらそもそも脱がせられない。 この辺りが俺の身体の最も不便な部分である。 だが実際、武器も防具も不必要である。切るのにも突くのにも使える俺の爪は、リーチこそかなり短いが、頑丈さや切れ味の鋭さに関しては並みの剣を遥かに凌ぐし、鎧はスピードを殺すだけ。どうせ俺が傷を負わされることなど滅多にない。 ここへは、武具を取りに来たわけではない。今まで戦って殺して来た人間の武具を見ることで、これまでの戦いを思い出し寝起きの身体を鼓舞させるために来たのである。今となってはスイッチ一つで頭を切り替えられるので、こんなところにわざわざいくのは全くの無駄でしかないのだが、習慣化されてしまっているようで、ここにいかないとどうにも気持ちが悪い。俺もまだまだだ。 とにかく目的を果たした俺は、踵を返し、穴を出る。 軽い寒気はまだ残っているが、熱は出ていないし、鼻水や咳も出そうにない。これなら普段通りに戦うことも出来るだろう。 さて狩りの始まりだ。 俺は、まず侵入者のチェックをおこなう。どうせいないだろうと思うが、念のためだ。 全身の力を抜き、術の呪文を唱え始めた。 今使おうとしている術は、一定範囲内に人間がいる場合、その人間の大体の位置を探知する効果がある。多分、人間の身体にしか含まれていない物質か何かに反応するのではないかと思う。 効果範囲は割と広い。この辺り一帯は充分にカヴァー出来る。 呪文が完成し、術が発動する。 光が四方八方に飛び散っていき、その直後、俺の脳内に付近の平面図が映し出された。 平面図には最初何も描かれていなかったが、しばらく待つと、丸い点が一つ、そして二つ浮かび上がって来た。二つの点はほとんど密着しているくらい近くにある。 これが意味することは簡単だ。付近に人間が二人いる。そしてその二人は十中八九仲間である。 どうやら久しぶりに強運が訪れたようだ。 次に用いるのは、視覚、聴覚、嗅覚を備えた分身を飛ばして自由に動き回らせる術。分身は術者以外には姿が見えないようになっているので、偵察や尾行、監視などに使える。 術の使用中は、意識が本体か分身のどちらか一方へいくことになり、意識が本体にある時は本体の認識しているものしか感じ取れず、分身にある時は分身の認識しているものしか感じ取れない。ちなみに意識の移動は随時、自由におこなえる。切り替えに数秒ほど時間が掛かるが。 村人は、臆病なこともあって大概無力だが、村からの依頼などでこの俺を退治しに来た侵入者どもの腕は侮り難い。 まだ正式な軍隊が動いたことはないが、手練の剣士が徒党を組んでやってきたこともあれば、凄腕の術使いと戦ったこともある。 術が完成した。分身は獲物に向かって走り出す。 3 人間というのは分不相応な知恵を持ち、争いと無駄を好む地上で最も下等で性質の悪い生物のことだが、同時に地上で最高の食材でもある。 その肉は、途轍もなく美味である上に、病や怪我を治癒する力さえ持っている。その効力はどんな薬草よりも高い。 だが人間のほとんどはそのことを知らない。 もし知っていれば、人間という種族はとうの昔に滅びていただろう。同族同士食らい合って。 そういえば人間の神話に、この世に誕生したばかりの人間が、ルシフェル(悪魔の王)率いるデモン(悪魔)に襲われそうになるのを女神によって救われ、デモンは女神によって封じ込められるというエピソードがあったと思うが、このエピソードの中でのデモンというのは、同族を食わんとする欲望のこ とではないだろうか。つまり昔の人間は自分達の味を知っていたのだ。 話は大分それてしまったが、比較的高地にあるこの場所を住処とする俺は、基本的には獣の肉を食らうのだが、数十日に一度ほど近くの村の人間を襲っている。 本当は毎日村を襲って、毎日人間を食っていたい。あの肉の味は、贅沢や無駄を嫌うはずのこの俺さえも強く惹きつける。 だが、そんなことをすれば村人がいなくなってしまう。そのため数十日に一度しか襲わないと決めた。 だが、例外としてどうしても身体を癒したい時は食っても良いという決まりを設け、さらに俺のテリトリーに侵入する者は問答無用で食っても良いという決まり、外から村へ来た者は食っても良いという決まりを追加した。 だが最近は、俺のせいなのか旅人は減り、全体の大多数をよそ者が占めていたテリトリーへの侵入者も同時に減った。 村人も俺に狩られる運命を受け入れたようで、無駄な抵抗をすることはなくなった。 こうして俺が人間を食う機会は本当に数十日に一度ほどしかなくなった。 4 幾本かの樹に囲まれた場所。小さな炎が闇を照らしている。焚き火の炎だろう。 辺りには背の低い草が生い茂っているが、炎が燃えている場所だけは、土が剥き出しになっている。 人影が二つ見える。炎を挟んで向かい合うように座っている。補充用の薪と思しきものが彼らの手に届く位置におかれている。 分身の俺は、少し近寄ってみた。 どうやら一方は女のようである。 毛布に包まって横になっているが、寝ているわけではなく、また眠たげな様子でもない。身体を休めているのだろう。 歳は判別し辛いが、恐らく二十代の半ばはとうに過ぎていると思われる。 顔は穏やかな印象で、実の良く整っている。人間の視点から見れば充分に「美人」と言えるだろう。 ダークブラウンの髪は随分と手入がいき届いているようで、実に艶やかだ。とてもこんなところで野宿するような女の髪とは思えない。 だが村の人間にも見えないということは、旅をしているにも関わらず、裕福で快適な生活を送っているということだろうか。 毛布を通して見える身体のラインは、猫のようにしなやかで、敏捷性を生かした戦闘をいかにも得意としていそうだ。 彼女の荷物はすぐ傍らにおいてある。大きめの皮袋が一つだ。 武器らしきものは見当らない。まあ、小型の武器なら皮袋の中に入るだろうし、今も身に着けている可能性もあるため、丸腰とは決めつけられないが。 もう一方は少年である。 前に出した足を、膝で曲げて座っている。焚き火の明かりで何やらサイズの大きな薄い本を読んでいる。 どうやら絵本のようだった。彼の側にも皮袋(女のものよりは一回りくらい小振り)がおいてあるのだが、袋には角張ったふくらみが見える。他にも絵本が入っているのかも知れない。 柔らかな銀髪。女の方と同じく肌は白い。幼げな顔立ちだが、もう十代の半ばは過ぎているだろう。大きな青い目が印象的だ。 服装はサイズの大きなセーターに、ゆったりとしたロングパンツ。 小柄な体格で、敏捷性は確かにありそうだが、大した戦闘能力を持っている風には見えない。 では、術使いだろうか。 だが、術使いというのは得てして独自の雰囲気を漂わせているものだ。その雰囲気は分身を通して見た場合でも感じ取ることが出来る(これは経験則だ)。しかしこの少年にはその雰囲気が感じ取れない。 もしかしたら、この二人は俺を退治しに来たのではないのかも知れない。ちょっとピクニックでもしに来たのではないだろうか。だとすれば、この呑気な様子にも説明がつく。 少年の傍らには横笛がおかれていた。フルートというには長さが足りないから、ピッコロだろう。銀のピッコロだ。 「ん? 誰か……」 不意に女が声を立てた。さっと毛布を跳ね除けて身体を起こし、辺りを見回す。薄手のコートをはおり、柔らかそうな生地のロングスカートを履いていた。 「どうしたの?」 少年は絵本を読みながら、呑気な口調で尋ねる。 「いや、何かね、誰かが近くにいるような気がするの。あんた以外にね」 「ルー・ガルー、だったりしてね」 「だとしたら、今にも襲い掛かろうととしてるのかしらね」 冗談めいた会話に、軽く戦慄が走る。分身の俺は思わず後退っていた。 これまでにこの分身の存在を気取った人間は一人としていなかった。それどころか潜んでいる状態の俺本体の気配に気付いた人間さえほんの数人しかいない。 俺の調子が鈍っていたからだろうか。いや、そうだとしても…… とにかく、こいつらが俺を退治に来たことは、今の会話で明らかとなった。これは油断して良い相手ではない。 そうだ。これまでにも見掛けに騙されて苦杯を舐めさせられた経験は何度もある。 ベテラン剣士並みのクワ捌きを見せた農夫、体力馬鹿の戦士のフリをした術使い、道に迷った隊商を装った戦闘集団……どいつもこいつもなかなかの相手だった。 今回の場合、呑気な様子は素であるようにしか思えないのだが、油断は大敵である。 「おかしい、ホントに感じる。気配。居場所は分かんないんだけど」 「やっぱり、ルー・ガルーなんじゃない?」 そう言って少年は絵本をたたんだ。 ルー・ガルー(狼人間)というのは、俺のことである。村人や、村人に要請されて俺を退治しに来る者は、ずっと昔から、俺のことをそう呼ぶ。 多分、村人が伝説上の怪物から取ってつけたのだろう。無用なひねりのない、短くて呼びやすい良い名前だ。 「でも、この辺にいるならとっくに襲い掛かって来てたんじゃない。ほら私達、思いっ切り油断しまくってたでしょ」 「結構、臆病だったりしてね」 「かもね」 いちいちくだらない言葉に反応したりしはしない。 「もしホントに近くにいるなら、早く襲って来て欲しいよね。僕、恐くて恐くてたまんないんだからさ」 少年はそんなことを言うが、恐がっている様子は全くない。むしろ笑顔を浮かべ、楽しそうにしている。 「でも私に居場所をさとらせないなんて相当なもんよ」 「まあ確かにね。でも、そうだとしたら楽しみじゃない? カシスって本気出したことなんてないでしょ」 なるほど、それがこの女の名前か。本気を出したことがないというのは、それだけ技量があるという意味以外には取りようがない。 「いや、ないこともないけど、本気」 「えっ、嘘でしょ。人殺すことと、殺す相手に涼しい顔見せることにしか生きる楽しみを見出せないカシスが?」 「失礼ね。私のことそんな風に思ってたの? ルッちゃんって最低ね」 ルっちゃんというのは少年のことだろう。愛称だろうか。 「カシス、人をそう軽々しく最低だなんて言っちゃだめ。僕は事実を言っただけじゃない」 「事実じゃないじゃない。私は殺したくて殺してるわけじゃない」 それは、仕事のために殺す、つまりは生きるために殺す、ということか。 だとしたら、俺とは気が合うかも知れない。いや、別に人間と親しくなりたいとは思わないが。 「で、本気出したのっていつ?」 「え?」 「出したことあるんでしょ。カシスが本気出したら、どうなるのか僕、知りたいなあ」 「勘違いしないで、私は負けたの」 「へ?」 「だから、負けたの。本気出して」 「……ええっ! 嘘でしょ?」 少年は女の方に顔を近づけ、大声で言う。茶化すような大げさな反応だが、実際に驚いていない、というわけではないようだ。 「ホントよ」 「またまたぁ」 「負けたの」 「……ホント?」 「ホントよ」 「誰に負けたの。でっかい化けもの? それともデモンの生き残りか何か?」 「人間」 「普通の? 改造されたり怪物化されたりデモンの力で強くなったりしてない?」 「多分、普通の。性別、男。痩せ型長身、身なりは汚いけど、割と美形。旅人」 「メジャーさん?」 「多分マイナーさん。だって知らない人だったし。名前は確かショットだかヨットだかジェットだかそんな感じ」 消えそうになった炎に新たに薪が放り込まれる。そして女は語り出した。 5 「ええと、あれはもう十年以上も前のことになるかしら。その時の私は今のあんたとそう変わらないような歳だったけど、その頃から私は今の仕事をしていた」 「ワクワク」 「その男は私のターゲットだったの。殺される運命にあったわけ」 「ドキドキ」 「さっきも言ったけど、その男は旅人だったの。依頼者はそのパートナーで、動機はその男の持ってるアイテムが欲しいから。くだんない動機ね」 「ハラハラ」 「動機がくだらないから、あんまり乗り気にはなれなかった。それでも報酬は割と良かったし、一応引き受けといた」 「ゾクゾク」 「そこうるさい。人の話は静かに黙って聞くものよ」 「プルプル」 「だからうるさいって言ったでしょ。それにプルプルって何なのよ」 「プルプルしてる感じ」 「いや、それが分かんないんだけど……」 「だからプルプル」 言いながら少年は全身を左右にゆっくりと揺らす。 「それはユラユラでしょ」 女は身を乗り出して、焚き火の向こうの少年の頭を軽く叩く。少年は、頭を押えて大げさに痛みを表現する。 こいつらは漫才でもしているのだろうか。……本当にこいつらは俺を退治しに来たのか、と本気で思ってしまった瞬間だった。 だがそれでも油断はだめだ。相手を侮って損をするのは自分の方だ。 「続けるわよ。襲ったのは、ターゲットと依頼者が揃って町を出て少しいったところ」 「…………」 今度こそはさすがに何も言わない。 「依頼者が用を足しに草むらに入っていく、それが合図だったわ」 「…………」 「私はターゲットに突進する。一発で決めるつもりだった」 「…………」 「でもかわされたわ。それも紙一重で。ここはもの凄く記憶に残ってる。別に強さとかそういうものにはこだわってないつもりだったけど」 「…………」 まあ無理もないことだ。不意打ちで放った必殺の一撃を、最小限の動きでかわされたのだ。人間の戦士ならば、誰でも屈辱を感じて当然である。 それにしてもこの女、具体的な部分を語るつもりはないようだ。女が武器としているものが何かなのかも、俺には明らかになっていない。 「それで一瞬隙ができたところを攻撃された。咄嗟にかわしたけど、腕をやられた」 「…………」 「ちなみに相手はナイフ使い。二刀流だったわ」 「…………」 二刀流ナイフか。そういう相手とは戦ったことがない。そもそもナイフというものは暗殺や奇襲には向いているが、向かい合っての戦闘ではけして有効な武器ではない。もちろん技術を磨けば不利を克服することもできるが、ナイフを極めたものは大抵、要人の暗殺などに忙しい。従ってナイフを使う者が俺のような辺境の化けものを相手にすることは少ない。 「腕をやられたって言ったけど、実は掠っただけなの。それなのに血が溢れ出た」 「…………」 「多分普通のナイフじゃないわ。もしかしたら術の力が込められてたのかも知れない」 「…………」 「それに、一方的ってほどでもなかったけど、腕もそいつの方が明らかに上だった」 「…………」 「私も少しは傷負わせたんだけど、私が受けるダメージの方が断然多くて、結果敗北」 「…………」 「正直、死んだと思った。でも気を失っただけだった」 「…………」 「そいつに診療所に連れてかれた。助かった」 「…………」 「で、目を覚ました私に、そいつ何て言ったと思う?」 「…………」 「本当は殺すつもりだった、て言ったのよ。わけ分かんない」 「…………」 「ちなみに私に殺しを依頼したやつはどっかに逃げたみたい」 「…………」 「それからそいつとは色々あったけど、つまんない話だから省く」 「…………」 「ってわけで終わり」 「…………」 「どう、感想は?」 「…………」 「いつまで黙ってんのよ」 「…………」 「何とか言いなさい」 「プルプル」 女はまたもや少年の頭を叩く。 「で、感想は?」 「その人ってカシスのタイプ?」 「全然。私の嫌いな冷たい感じの男」 6 「そろそろ寝たら?」 「うん、じゃあそうする」 少年は地面に置きっぱなしだった絵本とピッコロを、荷物の袋に入れる。 「毛布取って」 「私の使って良いわよ」 再び横になっていた女は、毛布から這い出して立ち上がり、横に何歩かずれ、足を揃えて座る。 「良いの?」 「別に。どうせ私、寝れないみたいだし」 少年は焚き火を迂回し、毛布の前に屈み込んだ。 「わあ、あったかい」 毛布を触って、満面の笑みを浮かべる。 かと思えば、毛布に鼻を近づけて、 「それにカシスの匂いがする」 と言って、毛布に飛び掛かり、強く抱き締めた。 「気持ちー。僕、お星さまになっちゃうよお」 俺は、どういう意味だ、と思わず突っ込みを入れたくなる。ある意味、恐ろしい相手だ。 女の方はといえば、そんな少年を見て楽しそうに微笑んでいる。 兄弟、家族のようだと思った。 家族。 俺にはいない。 いらない。 アトガキ これは2004年に書くだけ書いてほったらかしにしていたものを、今になって見直し、完成させたものです。 意図的にキャラ主体の小説を書こうと思って書いたもので、スレイヤーズではありませんが、最近の私の書いたものよりはずっとここの雰囲気に近いんじゃないかと思います。 楽しんで頂けると幸いです。 1の方の「蜘蛛の巣」もよろしくお願いします。 それでは…… |
17578 | 弔曲7〜11 | 蝶塚未麗 | 2006/4/11 15:24:04 |
記事番号17569へのコメント ――弔曲―― 7 少年の安らかな寝息。その無邪気過ぎる寝顔。 闇の底で汚れた俺とは違い、無垢で清い。 もしもアンジュ(天使)がこの世に実在するのならば、この少年のような姿をしているに違いあるまい。 それともこの少年は本物のアンジュなのだろうか。血に塗れた俺などにはけして触れることの出来ないアンジュ。 ……いかん。何を考えているんだ。この少年も所詮は下等な人間で、俺に狩られる定めにある獲物に過ぎない。 アンジュなどではありえないし、そもそもアンジュがどれほどのものだというのだろう。 清らかさ、優しさ、美しさ。そんなものには何の価値もない。 全く、今日の俺はどうしたのだろう。風邪のせいで、頭までおかしくなったのだろうか。 女の方はといえば、少年が眠ってからずっと何もしないで座ったままだ。時折、少年の方を見たり、炎に薪をくべたりするくらいで。 「それにしてもホント無気味よねえ」 ずっと静かだったため、女が口を開いた時には、虚を突かれたような気分になった。 女が見ているのは、俺の住処があり、そして黒い霧に包まれた岩山がある方向。 「だってホント、黒過ぎるんだもん」 どうやら霧のことを言っているらしい。まあ大体見当はついていたが。 「はあ、それにしてもお腹減ったなあ。でも、夜中食べると太るしなあ」 溜息を吐く。 「ルッちゃんがうらやましいよお。いっぱい食べても太んないなんてさ」 どうやら愚痴に変わったようだ。 「ええい、こうしてやる」 女は少年の無邪気な寝顔に手を伸ばし、頬をつねったり、引っ張ったり、こね回したり、と色々弄んだが、少年は全く反応しない。 「ああ、つまんない。やーめた」 ……本当に俺を退治しに来たのか? 俺は心の中で夜空に向かって問い掛けた。 8 ずっと分身の方にいっていた意識を、本体の方に移し変える。そして、すぐさま歩き出した。 獲物のいる場所へは、徒歩で一時間くらいか。本体の移動速度は分身のそれに大きく劣るため、それくらいは掛かる。 俺は道中、これから始まる戦いについて考えてみることにした。 まず気配を消して接近し、樹の陰にでも隠れて様子をうかがい、機を見て襲い掛かる。ターゲットはもちろん起きている女の方だ。 全速力で走って距離を詰め、そしてそのままの勢いで素早く爪の一撃を繰り出して、喉を切り裂くなり、心臓を一突きするなりして、反撃させることなく一撃で息の根を止める。 だが、言うは易しだ。当然この通りにうまくいくとは限らない。女は俺の分身の気配にさえ気付いたのだから、俺の接近を許してくれるかどうかは分からないし、接近に成功し無事に隠れ場所を手に入れることが出来たとしても、相手は素人ではないだろうから、そこからの不意打ちが成功するとは限らない。 失敗すればまともに戦うことになる。女は恐らく強敵だと思われるし、その上さらに少年もいる。 少年の方は眠っているが、戦いが始まれば当然目覚めるだろう。少年がどれだけの力を持っているかは分からないが、過小評価するわけにはいかない。 それでは、少年を先に倒してしまうべきだろうか。女に対しての不意打ちにはならないが、敵の数を減らせるというのは大きいし、女にも精神的なダメージを与えられるだろう。 だが寝ている獲物を殺すのは不意打ちでは難しい。確実に攻撃を当てるには、走って距離を詰めた後、獲物の前でいったん立ち止まって、体勢を低くして攻撃しなければならない。だが、その場合、女に攻撃の隙を与えてしまう可能性があり、非常に危険だ。 かといって、走った状態のまま下段方向に攻撃するというのは難しい。 近くに樹に登ってその樹の上から飛び降り、そのまま突き刺すという手もあるが、これだって命中率は悪いし、樹に登る時に物音で気付かれてしまうかも知れない。 樹を切り倒しての攻撃なら、女に防がれても女への牽制になる。しかし、肝心の樹を切り倒す方法が見当らないからこれもだめだ。俺の爪は斧ではない。 少年を狙うという案は没だ。どうせ、どの方法でも二人に接近する必要があり、女に気配を気取られる危険性を排除することが出来ない。 他には、女をどこかに誘い込むという方法もある。一瞬姿を出して即座に逃げ去れば追い掛けて来るかも知れない。俺は追い掛けて来るところを攻撃する。 これなら一度気配に気付かれても大丈夫である。 一対一で、しかも暗い場所で戦うことになる。暗中の戦いには慣れているため、多分こちらが有利になるだろう。先制を取ることも出来そうだ。 いや、この方法もうまくいくまい。女が一人でやって来ることなどまずありえない。このような場所で、無防備な人間を一人にする愚を犯す者などいないだろう。少年を起こしてから追うか、追わないかのどちらかだろう。 前者なら、一対二になるわけだが、俺は闇に紛れられるわけで、不意打ちのチャンスが見つけられるかも知れないが、後者の場合、相手の警戒心を強めてしまい、それ以降の攻撃が難しくなってしまう。 そのまま持久戦に持ち込むという手もあるものの、相手は二人いる。交互に睡眠を取っていけば良い。二人とも図太そうだから、ぐっすり眠れるだろう。 朝になって闇が消えれば、隠れる闇を失うことになる俺は、不利な状態におかれることとなる。 ……結局、やり慣れている最初の方法でいくことにした。 9 目的地に辿り着く。俺は息を殺した。 風の流れに合わせるように足を動かし、少しずつ目的の場所へ近付いていく。獲物の待つ場所へ。 先ほど分身を使って獲物の様子をうかがってみたが、状況は一時間前と変わっていなかった。つまり女が起きていて、少年が寝ている。もう必要ないので分身は消した。 月を見上げた。狩りの成否を無言で訊ねる。もちろん答えてはくれない。 獲物を囲む樹の一つに辿り着いた。焚き火にかなり近い位置だが、樹の幹は太く、うまい具合に陰になってくれている。隠れて隙を窺うには格好の位置だ。 だが、相手は俺の分身の気配にさえ気付いたのである。この時点で、すでに俺の存在が気取られている可能性もある。 俺は恐る恐る顔を出して、女の様子を窺ってみた。肉眼で覗くのはこれが初めてだ。 その時だった。 「……誰?」 声が掛かる。冷ややかで、ひどく落ち着いた声。気付かれたようだ。 女の声だろう。だが、少年と漫才をしていた時とは全く違う。 その声の異様さに、思わず姿を見せてしまう。 薪がパチパチと音を立てて燃えている。その熱気は俺の方はまではほとんど寄って来なかったが、それでも明かりは俺をおぼろげながらも照らし、俺の目にも光を与える。 俺の視線の先には、女が立っていた。 焚き火の明かりを背景に、静かにこちらを見つめていた。 「もしかしてあんたがルー・ガルー?」 女の問いに俺は無言で頷いた。 「……なるほどね」 10 俺の姿を見て、生き残った者はいない。 村を襲う時も、獲物が一人でいる時だけを狙ったし、それを誰かに目撃されてしまった時は、例外としてその誰かも餌食とした。 村人どもが数を頼りに押し寄せて来た時は、見つからないように姿を隠したし、傭兵どもが束になって襲い掛かって来た時も、奇襲を掛け、逃走を許さず、一人残らず全滅させてやった。 ちなみにそういう時、大量に手に入った肉は、村から盗んだ塩で塩漬けにした上で、炎の術を使い燻製にした(この手では作業が大変だった)。しばらくは人間の肉を食い続けることができて幸せだった。 そんな余談はさておき、いつしか俺は思うようになった。俺は人間に姿を見られることを本能的に嫌っているのではないかと。 11 「……なるほどね」 その時、女の顔に、僅かな笑みが浮かんでいるのが見えた。 何の笑みだろうかと俺は一瞬考え、直後、相手が獲物であることを思い出し、爪を構え、睨みつける。 「ルー・ガルーって、そういうことだったわけ?」 そういうこと? どういうことだろう。 この女は何を言っているのだ。 「怪物化……してるの? 原因はあの黒い霧?」 俺は思わず後ろを振り向く。 夜の闇の中でさえ、その暗さを誇示する漆黒。真の闇。 俺の父にして母。その霧が見える。 相手に隙を見せていることに気付き、咄嗟に視線を戻した。 「その霧のせいなのよね。だから化けものになった?」 女の笑みの中に、微かに悲しみが映ったように見えた。 この女は一体何なんだ。 「もしも自分のことが化けものに見えてたとしたら、それは間違いよ。あんたジョットでしょ? あんたは紛れもない人間よ。ちょっとおかしくなってるだけ」 |
17583 | 弔曲12〜15 | 蝶塚未麗 | 2006/4/13 14:23:15 |
記事番号17569へのコメント ――弔曲―― 12 (……あんたは紛れもない人間よ) その言葉が、俺を貫く。 俺が人間だと? そんなこと……馬鹿げている。 「ふん、何をほざくかと思えば」 俺はその言葉を鼻で笑った。 「何言ってんの。人間の言葉話して服着てて両手にナイフ持ってるじゃないの」 服にナイフだと。それはどういう意味だ。 俺は服など身に着けていないし、ナイフなど持っていない。武器は各腕に一本ずつ生えた爪だ。 ……一本ずつ? そういえば、見た目こそ違うが、用途はナイフに似ていなくもないような…… だが、これがもしもナイフだとしたら、俺はずっと何年もナイフを握り続けていたことになる。そんな馬鹿なことが…… 「あんたは怪物化してるだけ。心の病気に掛かって、自分を化け物だと思い込んでるだけなのよ」 「馬鹿げたことを」 そんなことがあるものか。この女は虚言を弄して、俺を惑わせようとしているだけなのだ。 「うーん」 その時、人間の唸る声が聴こえた。女のものではない。 ゆっくりと女の方から視線を外す。女の立ち位置よりさらに向こう側で、少年が起き上がろうとするシーンが見えた。 「あっ、ルッちゃん起きたの?」 女は少年の方を向き、つまり俺の方に背を向けて、少年に言った。口調は随分と穏やかに、明るくなっている。 「どうかしたの?」 少年は辺りを見回し、一言。 「別に。ちょっとルー・ガルーと話してただけ」 「へえ、そうなの」 「それより、よく目覚ましたわね。ほっぺつねっても起きなかったのに」 「カシス、そんなことしたの?」 「あっ……いや、それは……」 「悪戯は止めてって言ったでしょ。まあ、ほっぺくらいならギリギリで許してあげても良いけど」 二人は俺を無視して会話を始めた。 「じゃあ許して」 「うん良いよ。でも、許す代わりに、今度こそトーマスの赤い絵本手に入れて来て」 「あれは無理だって言ったでしょ」 「何で無理なの?」 「だからコレクターキラーの手に渡ってるからって、この前も言ったでしょうが」 「だからやっつけて奪えば良いじゃない。居場所は予想つくんでしょ」 「無茶言わないでよ。相手はあのコレクターキラーなのよ。世界最悪の大怪盗なのよ」 「でも、カシスは世界最高の人殺しじゃない」 「何言ってんの。コレクターキラーはね、でこピン一発で虎を倒したのよ。彫刻刀一本で城を落としたのよ。鼻から牛乳出して大陸一つ沈めたのよ。まともにやり合ったら、死ぬ……ってことはなくても、全治一ヶ月くらいの怪我は覚悟しなきゃならないわ」 「怪我くらい良いじゃない。青い本と黄土色の本はもう持ってるんだしさ。後、赤い本さえ手に入れば、絵本ドラゴン呼び出せるんだよ。そしたら何でも願い叶えてもらえるんだよ。しかも三つ。一つ目の願いごとでカシスの怪我治してもらっても、後二つ残るんだよ」 「嫌よ。それまで痛いじゃない。第一、絵本ドラゴンなんているわけないじゃない。ひどいよ。ルッちゃんの外道! ルッちゃんの鬼畜! ルッちゃんなんて、パン生地と間違えられて窯で焼かれれば良いんだわ!」 「カシス、こそひどいよ! 絵本ドラゴンがいないだなんて、子どもの夢踏みにじる気? 絵本ドラゴンは絶対いるんだから!」 「いないわよ!」 「いるよ!」 「いない!」 「いる!」 「いない!」 「いるもん!」 「いるもん!」 「いないも……じゃなくて、いるもん!」 「あっ、引っかかった!」 ……これは襲ってくれ、ということなのか? いい加減会話を聞くのにもうんざりした俺は爪を構え直す。女の背中に向かって、右手の爪を繰り出した。 俺の爪が、コートの生地の奥へ、吸い込まれていく。そう思った瞬間、俺の腕が何かに掴まれ、そして身体が宙に浮かび上がった。 瞬きする暇もなく、地面に叩きつけられる。咄嗟に受身を取ろうと思ったが、間に合わなかった。 倒れた俺を見下ろす二つの視線と、すぐ近くで燃えている焚き火に、俺は何が起こったのかをすぐに悟った。 俺は投げ飛ばされたのだ。女に。女の背後から正面へと。腕を掴まれて。 手と足に力を入れ、飛び跳ねるように起き上がる。女に視線を向けた状態で、素早く背後へと跳躍して距離を取る。 「このおじさん、誰?」 少年の呑気な声。 「だからルー・ガルー」 女が簡潔に言った。 「実は人間でした、ってオチ?」 「そうよ。怪物化してるみたいなの」 「へえ、つまんないオチだね。でも、もしかしてその人って、ヨットとかミットとかマットとかいう人?」 「えっ?」 「ほら、カシスが負けたって人。両手にナイフ持ってて、すんごく強いって……。さっきお話してくれたじゃない」 「ああ、そうね。……その人よ」 「カシスの初恋の人だね」 「えっ!? いや、そういうわけじゃ……」 「あはは、照れちゃって。図星みたいだね。カシスちゃんかわいー」 「……違うわよ」 「隠さなくても良いよ。激しく愛し合ったんでしょ。僕は嫉妬しない主義だからね」 「だから違うって言ってるでしょ。そもそもタイプじゃないし」 「辛い別れ方をしたんでしょ。それで元々そういう男が好きだったのが「もう、うんざり!」になった。僕には全部お見通しだよ」 少年が女に人差し指を向けて、自信満々に言う。 「待て」 そこで俺が口を開いた。 感情を表わさぬように努めながら、言葉を続ける。 「本当に俺の姿が人間に見えるんだな」 すると女はこちらを向いて、 「あんたを撹乱させるつもりで言ってるんじゃないってことは保障するわ」 「記憶のことはどうなる。俺はジョットとやらの記憶など何一つ持っていないが」 「怪物化してるから消えてるだけ」 女がでたらめを言っているようには思えなかった。 13 「ところで、せっかく出会えたんだから、一戦交えてみない?」 再び口を開いた女の表情に、またもや笑みが差す。今度は一点の曇りもない笑みだった。 少年は、先ほど女に黙っているように言われたからなのか、一言も発しないが、一瞬そちらに視線を向けると、愛らしい顔は、嬉々とした笑みを隠し切れない様子だった。 「俺は別に、自分がジョットとやらだと認めたわけではないんだがな」 「別に良いわ。どうせ、私達を殺そうと思ってるんでしょ」 「それは、確かにな」 爪を構えて、威嚇してみせる。 「じゃあ、やりましょう。でもここが汚れると寝床移さなきゃならなくなるわね。場所を変えましょうか」 「素直に言うことを訊くと思うか?」 出来る限り冷たく、非情に聴こえる声を、俺は出す。 だが、女は動じない。 「じゃあ、ここで襲えば? 私は逃げるから」 楽しげな調子で言った。 「ルッちゃん、一応、毛布片付けといてくれる?」 「うん」 俺の視界の端で少年は、さっきまで自分が包まっていた毛布を、女の袋に手際良く詰めていく。 「ありがと。後、あんたも逃げた方がいいかもね」 その時、女は少年の方を向いた。チャンスだと思った。 俺は地を蹴る。先ほどの二の舞にならないように、気をつけながらも、素早く近付いていく。 まず左の爪で牽制し、右の爪で心臓なり喉なりを切り裂く。長い爪ではないが、人間の骨など、障害物にもならないくらいの鋭さがある。 だが、二点の距離がゼロになるより早く、女の姿が掻き消えた。 どこへいった!? 昂ぶる感情を握り潰し、俺は敵の気配を探る。 後ろだ! だが、どうやって? いや、そんなことを考えている暇などない。俺は左足を軸にして、素早く身体を反転させる。反転と同時に、勢いの乗った右の一撃を繰り出した。 爪が何かに当たった。硬い感触。腕に衝撃が走る。 俺は二、三歩退き、襲い掛かって来る女の腕に注目した。彼女の利き手と思しき右手。そこに煌くもの。予想通りそれはナイフだった。 嵐のような女の連続攻撃。しかもでたらめな攻撃ではなく、無駄は全く感じさせない。 だが俺は素人ではないし、武器の爪は両腕にある。俺は後退しながらも攻撃を一つ一つ防いでいく。軽い傷をいくつか負いながらも、決定打は打たせない。 女の攻撃はなおも続く。なかなか反撃を許すような隙は見せてくれない。一瞬でもチャンスがあれば、戦況を覆す自信があるのに。 俺の身体の傷はどんどん増えていく。すべて掠り傷とはいえ、これだけ傷を負わされるのは初めてだ。どうやら力量は相手の方が僅かに上らしい。 いや、俺は両手で戦っているのに、相手が使っているのは右手のみ。それなのに俺の抵抗を退け、優勢を保ち続けている。その上、相手はスカート姿。戦闘に向く格好とは言い難い。 突如、背後に何かの感触。しまった。どうやら樹が背後に待ち構えていたようだ。 俺の一瞬の動揺の隙に、女はナイフを大きく振りかぶり、冷酷にも俺の胸元を狙って来る。速い! 俺は咄嗟に腕を交差させて身体をかばうようにし、同時にしゃがみ込む。何かの音。自然と目を瞑っていた。 纏わりつく不快な感情。それが恐怖であることを、俺はさとった。冷や汗がどっと溢れる。 だがそんな感情に囚われている暇はない。命が危ないのだ。俺は目蓋をこじ開ける。 だが、そこに女の姿はなかった。恐る恐る立ち上がってみると、頭が何かにぶつかった。それは樹から生えているらしく、そのまま上へ押し上げようとしてもびくともしない。 手で触ってみると、それが女のナイフの柄であることに気付いた。簡単には引き抜けないほど深く樹に突き刺さっている。 女はどこかへ逃げたのだ。ナイフを樹に突き刺したまま。だが、なぜ? いや、それよりも、どこへ? 俺は焚き火の火を頼りに、辺りを見回す。 焚き火の前に少年が座り込んでこちらを見ているが、女の姿はない。どうやら闇の中に紛れたようだ。 負わされた傷が冷たい風に染みて、痺れるように痛む。俺は歯を食い縛って痛みに耐えた。 この程度なら、まだ充分戦えるが、しかし、これだけの傷を負わされたのは実に数年振りのことだ。それに人間の女ごときに対し、恐怖を感じてしまった。こんなことは初めてだ。 俺にも悔しいという感情はある。俺は今、猛烈に悔しかった。明らかに筋違いだというのに、憤怒の感情が込み上げて来る。 そんな感情を持っていては、戦いの際に無駄な隙を生むだけだということは十二分に分かっている。早々に捨て去って冷静になるべきだ。 だが、烈火の如く燃え上がる怒りは、どうしても消し去ることが出来ない。 「女はどこだ!?」 俺は少年に向かって怒鳴る。睨みつけ、爪を向ける。早足で少年の方に向かっていく。 「どこにいる!?」 激情はなかなか収まってくれない。 「僕知らないよ」 こちらの神経を逆撫でするような、無邪気な声。 「でも、すぐ近くにいるんじゃないかな? まさか僕をおいてきぼりにするわけなんてないしね」 少年は両手の拳を顎に当てていたが、左手の方にはピッコロが握られていた。 もしかしたらそれが武器なのかも知れない。俺の中の冷静な部分はそう警告したが、怒りに支配された方の片割れはそれを聞き入れようとしない。 所詮はガキだ。こんなガキなど簡単に殺せる。こいつを殺せば、女は姿を現さざるを得ない。 手を伸ばせば少年に届く位置で、俺は右爪を大きく振り上げた。 「そんなことよりさ、おじさんって魔法使えるの?」 魔法というのは術のことだろう。俺は言葉を無視し、爪の先を少年の方へと向ける。 「ふーん、使えないんだ」 少年は軽く舌打ちして、咄嗟にピッコロを口元に構えた。 「まあ、僕も使えないんだけどさ、でも、こういうのなら得意だよ」 そう言うと、ピッコロからメロディが流れ出す。 清冽な水の流れと、川岸で微かに揺らめく草のような…… 暗天に瞬く星と、優しい夜風ような…… 静かで綺麗な音色が、俺の心に充満した怒りを取り払う。 気付けば右爪は、少年の額に向けたままで止まっている。少年は澄ました顔でおじぎして、 「どう?」 「恐く……ないのか?」 少年は首を振った。そして笑顔を浮かべ、 「だってさー。向こうにカシスがいるんだもん」 俺はゆっくりと首を回し、後ろの様子をうかがう。 「どう、驚いた?」 悪戯に成功した子どもが発するような声。 少し離れた位置には女の姿があった。間違いなく少年がカシスという名で呼ぶ女の。 どういうことだろう。気配など全く感じなかったというのに。 「十二年経ったのに、あんまり変わってないわね。ジョット」 そういうと彼女は後ろへ跳躍して距離を取る。その右手には樹に突き刺したナイフとは別の刃物が煌いていた。 それは包丁だった。細身の包丁で、長さは女自身の前腕部ほど。 普通の包丁はまな板においた野菜や肉を力を込めて切断する道具であり、ナイフのように切りつけたり刺したりすることには向いていない。 「だから俺はジョットとやらではない。百歩譲って身体の方はそうかも知れんが……」 「心の中身もよ。知り合いの知り合いにそういう方面の研究してる人がいるんだけど、その人曰く、ある人が怪物化する前とした後の性格とか能力はほとんど同じようなものなんだってさ。ただそれがちょっと過激になるだけで。凶暴になったり、残酷になったりするのも隠れてた本性が出るだけ」 「…………」 「だから、あんたとジョットは同じようなもんだと私は思ってるわ。あんたにとしては心外かも知れないけど」 「…………」 「実際似てるしね。冷酷非情になり切れないところなんか」 それは少年を殺し損ねたことを言っているのだろうか。 「だから、どうした?」 「だから、今の私には勝てない」 女は俺に包丁を向ける。そして吐き捨てるように言った。 「失望も良いところ」 女が動いた。俺がその動きを捉えた時、すでに女は俺との距離を半分以上詰めていた。反応が間に合わない。 包丁の刃が妖しく光ったと思った時、俺の腹部に何かがめり込む。 気づけば、肌が触れ合うくらい近くに女がいた。その瞳の中でさえ覗けるくら近くに。俺の腹に突き刺さった包丁を持って。 驚く暇もなく、激痛が走った。腹が、そして全身が焼けるように熱くなる。思わず、絶叫した。 女は包丁を握る手を離そうとしない。俺は爪で攻撃してやろうと思ったが、痛みが激し過ぎるのだ。苦しくてうまく動いてくれない。 蹴り飛ばされ、背後に倒れ込む。その時、同時に包丁も引き抜かれ、血が激しい勢いで噴き出した。焚き火に突っ込むようなことはなかったが、受身も取れず、地面にそのままぶつかって強い衝撃を受け、それが傷にも響いた。 仰向けにされた俺の目には、月と星の彩られた空が見える。そして、その片隅には無気味な黒い霧が…… 俺は今、死のうとしている。永遠の命が失われていく。いや、永遠の命なんて嘘だ。 さっき間近で見た女の瞳には、見知らぬ人間の男の姿が映っていた。それが本当の光景だったのかどうかは分からないが、どちらにせよ俺はただの人間に過ぎなかったのだろう。 14 いつの間にか少年が俺の傍らに座り込み、瀕死の俺を優しく見つめている。女の顔は見えない。 すぐ側の焚き火の火が温かくもあり、熱くもある。 死の恐怖と痛みの中、月と星は俺に安らぎを与え、黒い霧はなおも俺に畏怖を与える。俺を生み出した霧。いや、本当は俺を化けものに変えた霧。 視界は徐々に霞んでいく、痛みも遠いものに感じられていく。 「……ごめんね」 遠くで声が聴こえた。いや、それはすぐ近くにいた少年が発したものであった。 「カシスは不器用なんだ。戦った相手を殺さずにはいられないんだよ」 うつむき加減で打ちひしがれたような表情。 少年は静かに涙を流していた。人間というのはこんな風に初対面の相手の死に涙を流せるものなのだろうか。 泣きながら、ピッコロを口に当てる。 一粒の涙がこぼれ落ち、演奏が始まった。 高い音。流れる旋律は、穏やかで春の陽射しのように暖かい。だがそれとは裏腹に、どこか儚く、どこか切なく、どこか悲しげだ。 それが死の曲、弔いの曲であることに気付くまでには、さほど時間は要らなかった。 永遠に等しい短い時間の中で、俺は思う。 俺にはこの土地を離れるという発想がなかった。もし他に人間を狩るのに向いた場所を見つければ、この近くの村など、根絶やしにしても何の問題もなかったはずだ。 それはなぜだろう。なぜ思いつかなかったのか。 その答えは霧だったのではないだろうか。俺は霧に呪縛されていた。畏怖の心によって。 ではあの霧は何なのだろう。人間だったこの俺を化けものに変えて、この場所に繋ぎ止めたあの霧は…… 世界が真っ黒になり、メロディが止んだ。 15 「終わったね」 長い時間の後、少年が言った。涙はもう流れていない。 もうこの場所では眠れそうにない。焚き火のすぐ側には男の死体が転がっていて、辺りの地面は赤黒いな血に汚されている。 「そうね」 女が言った。 「でも、このまま帰るってのは、ちょっと心残りな気がするけど……」 「えっ、どういうこと?」 少年が尋ねた。 「おかしいと思わなかった?」 「何が?」 「ここに領主の軍隊が派遣されなかったこと」 「え? それはここがド田舎だからじゃ……」 「そんなわけないでしょ。いくらド田舎だからって、自分の領地に何百人も殺した怪物を野放しにしとくなんて、そんなことありえないでしょ」 「うーん、そう言われると……」 「これは私の想像だけど、この怪物の裏には、国が絡んでるのよ」 「国?」 「そうよ。あの霧の向こうには国の秘密の研究施設があるのよ」 「何の研究施設?」 「もちろん、人間を怪物化させるための研究施設よ。それで超人兵士でも作ろうと考えてるのよ。霧は実験で出てきた排気ガスか何か」 「じゃあ、この人は実験台にされたわけ?」 少年が足元を死体を指差して言う。 「そうよ。ジョットは多分、初めに黒い霧を調査しにいった人なのよ。その時に偶然、村に立ち寄ってて、調査を引き受けることにした。その時に捕まったのよ」 「そして怪物化されてルー・ガルーになったわけだね」 「そう、黒い霧よりルー・ガルーが先だと皆、思い込んでたけど、実際は逆だったわけ」 「もしかしてルー・ガルーが村を襲ったのは、自分が食べるためじゃなくて、実験台を調達するため?」 「うーん、そうかも知れないけど、私は違うと思うわ。ルー・ガルーは誰かの飼い犬のようには見えなかった」 「うん、僕にもそう見えた。一匹狼な感じでカッコ良かったし」 「多分、そこまで制御出来なかったんでしょ。怪物化したは良いけど、命令に従わせることは出来なかった」 「失敗作だったわけだね」 「そうよ」 「じゃあ、成功作もあるのかな」 「そうね、その辺をうろついてるかも知れないわね。別の実験の実験台を調達するためとかで」 「うわー」 少年は大げさに恐がって見せる。 「でもまあ、そんなことはありえないわね。そんなやつがいたら、とっくにルー・ガルーと鉢合わせになって、どっちかがやられてるはずだわ」 「じゃあ、安全なわけ」 「多分ね。もしかしたらテリトリーが違うだけで、そこら中にうようよいたりしたりするかも知れないけど」 「でも十年近く前だよね、霧が現れたのって。まだその研究って続いてるの?」 「続いていなかったら、領主が軍隊派遣してるわよ。事前に研究所があった跡とか全部消してさ」 「でも、そうだとしたら変じゃない。研究してる人とかは、どうやって暮らしてるの?」 「どうやって暮らしてるって?」 「だってあっちは山の方だし、村なんか全然ないから、食べるものなんてないでしょ。こっち側はルー・ガルーが暴れてるせいで、危ないし、実際、ルー・ガルーのいるところから戻って来た人なんていないわけだし。かといって山越えも大変そうだし。そうなるとずっと山に篭らなきゃなんないわけでしょ。こそこそ研究してるような暗ーい人なんかが、こんな山の中で生きてけるかな? 狩りとかするの?」 「畑とか作ればいいでしょ」 「でも環境悪そうじゃない? あの霧どう見ても有害なんだけど」 「地下で栽培すれば大丈夫よ」 「じゃあ、秘密の研究施設の場所をこんなところにしたのは何で? ここも充分辺鄙だけど、近くに村があるから研究がばれる可能性があるよ。っていうか、ばれなかったのが不思議なくらいだよ。この国広いし、もっと人のいないところはあるでしょ」 「ここでしか研究出来なかったのよ。多分、黒い霧を作れるのはこの場所だけだったんじゃないかしら」 「うーん」 「まあ、これは全部、私の想像だから、ちょっとくらい事実と違ってるかも知れない。何なら、実際にいって見て来たら?」 「カシスが一緒に来てくれるなら」 「やよ。恐いもん」 「カシスが恐がるなんて珍しいね」 「そりゃそうよ。いつも、世界一恐いものと一緒にいるからね。……ねえ、ルチフェロさん」 「その名前で呼ばないでって言ったでしょ! 僕は悪魔の親分じゃないんだからさ」 おまけのプロフィール 名前:ルチ 性別:男 年齢:17歳(ただし15歳くらいにしか見えない) 容姿:小柄な体格で痩せ型、銀髪、小さい顔、大きな青い目 職業:カシスのペット 装備:全銀製のピッコロ 趣味:絵本のコレクション、道ゆく人に魔法(術)を見せてもらうこと、楽器の演奏 特技:か弱さアピール、笑顔、泣き真似 主義主張:刹那主義、楽天主義、「僕の一番の良いところは、何の役にも立たないところです」 名前:カシス 性別:女 年齢:28歳 容姿:艶のあるダークブラウンの髪、しなやかなボディライン 職業:殺し屋 装備:戦闘用包丁、ナイフ 趣味:髪のお手入れ、刃物のお手入れ、ショッピング 特技:戦闘及び暗殺、情報収集、語学 主義主張:楽しさ第一主義、「何ごとも臨機応変に」 アトガキ 実は、このお話は壮大な物語のプロローグというか、キャラの名刺代わりのような存在として書かれたものだったりします。 しかし、続きの構想はぼんやりとしかなく、書けるかどうかは今のところ分かりません。 書くとしたら、絵本を集めて絵本ドラゴンに会おうというドラゴンボール的なお話になると思います。 といっても私、ドラゴンボール読んだことないんですよね。 というわけで書くとしてもドラゴンボール全巻読んでからだと思います。 そうするとうまい具合に影響を受けてアクション要素の強い作品になってくれるのではないかと。 それでも主人公は一切戦闘をしないような気がしますが。 二年も前に書いたので、直してる最中、あちこちで下手だなあと思いました。 でも逆にその下手さが愛おしく、また今の私にはない面白さがあって凄い楽しい作業でした。 特にルチが可愛くて仕方なかったです。 あのキャラは完璧に計算なんですが、そこがまたいい。 ルチの楽器設定はサイズがちっちゃくて名前が可愛いからという理由でピッコロにしたんですが、「弔い」というイメージに全く反してるような気がします。 果たしてこれでいいのかどうか私には分かりません。 後、細かいことですが、本文中に出てくるルシフェルとルチフェロはどちらもLuciferであって、読み方が違うだけ。全く同じものです。ミスでもありません。 うろ覚えな上に出所が不確かなので正しいか分かりませんが、ルシフェルがフランス読みでルチフェロがイタリア読みだったと思います(とりあえず、そういうことにしといてください)。 ついでにいうと、アンジュ(天使)やルー・ガルー(人狼)も確かフランスだったはずなので、ルー・ガルーの生息地及びジョットの出身地はフランス語圏なのではないかと推測できます(ファンタジーの世界なので実際のフランス語圏ではないですが)。 それに、ルチの出身地はイタリア語圏ということになりますね。カシス(ヨーロッパ原産の果物)って何語だろう? つまり、何が言いたいかというと「世界は広いんだぞ」ということです。 世界の広さ(と多様性)は旅型異世界ファンタジーには欠かせないものですから。 |