◆−Lacrima 〜時の旅人異聞〜  プロローグ−羅城 朱琉 (2008/8/9 22:35:17) No.18457
 ┗Lacrima 〜時の旅人異聞〜  1−羅城 朱琉 (2008/8/9 22:41:38) No.18458


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18457Lacrima 〜時の旅人異聞〜  プロローグ羅城 朱琉 2008/8/9 22:35:17


 私は、この物語に2つのタイトルをつけました。
 これが、『時の旅人』の物語であることをこめて、『時の旅人異聞』と。
 そして、もうひとつ。『Lacrima』…意味は、『涙』。

 もう一つの『時の旅人』の物語を、楽しんでいただければ幸いです。









 Lacrima 〜 時の旅人異聞 〜


 プロローグ


 吹き込んでくる風は凍えるように冷たい。『彼』にとっては、それは問題ではなかったが、いかんせん『彼女』が心配だ。
 バルコニーの扉を開け放ち、白い服の裳裾を引いて、じっと祈りを捧げ続ける『彼女』。その肌は青白く、その吐息は白い。
「…そろそろ、休んだほうがいいんじゃないか?」
 『彼』は『彼女』に言う。
「……それより、逃げたほうがいいですよ」
 伏せていた目を開き、『彼女』は言った。
「此度の戦い、私たちの負けのようです。…もう、取り返しのつかないところに来てしまいました」
「そうか…皆は?」
「大半は、逃げ延びてくれたようですが…」
 そうして、『彼女』は言葉を詰まらせる。言葉より雄弁に伝わる、事実。死んだのだろう…おそらく、この戦いの鍵となる人物が。
『彼』は、「そうか…」とだけ呟いて、『彼女』の傍らに立った。
「悲しい、かい?」
 『彼』が、問う。
「…悲しい、というよりは、悔しい、です。
 ……私は、何もできなかった。ここで、祈ることしか…」
 『彼女』は、そう言って胸を押さえた。
 祈ることしか出来なかった。そこにあるものを、封じ続けるために。そのために、『彼女』はその力の全てを使っていたのだから。
 この寒々しい空間で、一日の大半を祈りの中で過ごしていた。そうして、生きるための力すら、ぎりぎりまで封印の維持にあててきたのだ。しかし…それも、もう意味を成さないだろう。
 『彼女』たちは、負けたのだから。
 だから…
「あなたは、早くここから立ち去ってくださいね。『あの方』がやってくる前に、どうか」
「ねえ、君は、この戦いに勝ったら、何がしたかった?」
 早く、と促す『彼女』に、しかし『彼』は歩み寄り、言った。
「そんなこと…」
「いいから。教えてよ」
 言い募る『彼』に、『彼女』は小さくため息をつく。そして、窓の外を眺めて…呟いた。
「私は…外へ、行きたかった。
 いろいろな場所を見て、自分の足で歩いて…皆と共に在りたかった。旅をしたかった」
 見上げた空の先は、どんよりと重い空。それでも、『彼女』は限りない憧憬をもって、その空を見つめる。
 その空の下へ、行くことを望んでいたから。
 けれど…

「叶うよ、その願い」
 『彼』が、言った。
「いつか、また会える。そうしたら…皆で一緒に、旅をしよう」
 『彼女』が、振り返る。
 儚い笑みを浮かべた『彼』が、『彼女』をそっと抱きしめて…

「本当に…何故、君が『氷晶の巫女姫』だったんだろう。君は優しすぎて…傷ついてしまう。わかりきったことだったのに、ね。
君にばかり、辛い思いをさせてしまって、すまない。いままでありがとう…。また会える日まで、お休み…」


 『彼女』が最後に見たのは、『彼』の微笑と、鈍色の空。

 そうして、一つの『戦い』は終わったのだ。
 『彼女』の、眠りでもって…。




   *     *     *





 何度、祈りを捧げただろう。

 何度、願いを込めただろう。

 数え切れぬほどに繰り返された、悲しみと痛みの歴史の中で。


 何度、思い描いたのだろう。

 何度、伸ばせぬ手を嘆いただろう。

 数えることすら放棄した、数多の命を見送りながら。


 始まりから終わりまで、全てを縛り付ける鎖。

 『運命』の名を冠した、残酷な呪縛の渦。

 揺らぐことの無い、無慈悲な流れを見つめながら…

 それでも『わたし』は、祈り続ける。


 この一滴の涙が、『かれら』に届くことを。

 この一滴の涙が、最後の『悲しみの涙』となることを。


 願わくば。

 今度流れる涙は、喜びのそれであるように。

 今度世界を満たすのは、明るい笑い声であるように。


 信じるものを持たない『わたし』は…

 それでも、祈り続ける。









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18458Lacrima 〜時の旅人異聞〜  1羅城 朱琉 2008/8/9 22:41:38
記事番号18457へのコメント




  1:再始


 誰かが、呼んでいる。
 囁くように小さな、それでも無視できない響きを持って、呼んでいる。
 思い出せ、という声と。
 思い出すな、という声と。

「……どうしろっていうんだよ…」
 ぽつりと呟いたのを聞きとめてか、前を行く小さな人影が振り向いた。
 『明り(ライティング)』の光を弾いて煌く銀髪が、さらりと靡く。
「また、聞こえたの? …ルピナス」
「ああ…。悪い、アリエス。邪魔したか?」
 銀髪の少女・アリエスは、小さく首を横に振り、視線で正面を指した。
「もう、終わったから」
「どうだった?」
 ルピナスの問いに、アリエスは再び首を横に振る。
「ここも、違ったみたい」
「…そうか」
「ええ。
 ……祈るだけじゃ、何も変わらないのに」
 扉ほどの大きさのある平らな石版を見つめて、アリエスはぽつりと呟いた。
 ルピナスの眼差しが、小さく揺れる。それを見ることは無く…しかし、予想はついていたのか、アリエスは小さな声で淡々と言った。
「『信じるものを持たない私は、それでも祈り続ける』…そう、書いてあったから。
 祈ったって、何も変わらないのに。聞き届けてくれるものなんていないのに…これを書いた人は、どうして祈り続けたんだろうかな、って思っただけ」
「…そうだな」
 落ちるのは、どこか重苦しい沈黙。二人はそうして、しばらく石版を見つめていた。




     *     *     *





「それしか、出来なかったから」
 二人が立ち去った、その後で。
 二人がいた場所に立って、石版を見つめる人がいた。
 茫洋とした瞳は、銀に似た水晶色。長い髪は、白。奇跡のような美しさを誇りながら、その全てがどこかニセモノめいた少女。
「そうすることしか、出来なくて。どれだけ力があっても、他に何も出来なくて…」

 その石版の更に奥、そこに眠るものを見つめながら。

「でも、終わりじゃない。もうすぐ、また始まる」

 奥に眠る、純銀の輝きに触れるように…

「起きて、王様。
 今度は、間違えないように…」

 石版の中に、ずぶりと手を突っ込んで、『それ』を引きずり出す。
 そして…手の内にある光を捧げもって。

「信じるものを…信じられるものを持たない、それでも真摯な祈りが、今度こそ届くように…
 王様が祈れないなら、フェナクが代わりに祈るから」

 闇の中に揺れるともし火のような光に語りかけるように、少女は言う。

「フェナクがずっと祈っているから。
 『ニセモノの銀色水晶』の祈りだけど…きっと、力になるから」

 そして少女は、そのどこかガラスめいた瞳を閉じて……その光を、飲み下した。