◆−冷たい風−たっちゃん (2001/11/1 21:24:56) No.7678 ┣Re:冷たい風−たかこ (2001/11/2 02:35:44) No.7681 ┗はじめまして−一坪(高温多湿) (2001/11/2 23:36:59) No.7695
7678 | 冷たい風 | たっちゃん E-mail URL | 2001/11/1 21:24:56 |
Sだね 警察官の質問にSは素直に頷いた。 母親殺しの件で事情を聞くから署まで行こう Sは観念していた。川面をすべる石狩川の冷たい風がSの頬を殴りつけた。 以下は S 30歳が母親を自分のアパートで殺害するまでを綴ったものである。 私は、道都札幌で生まれました。学校は中学しかでていません。家が貧乏でとても高校どころではなかったのです。学校を出てから親元を離れ大工の見習を2〜3年やりましたが、性にあわず,やめてしまいました。その後百科事典のセールス、ガードマン、ガソリンスタンドの店員など、転々と職を変えましたがどれも長続きせず、今は新聞配達をしながら細々と生活するようになったのです。一人でアパート暮らしをしています。 母は52歳、父は私が2歳ぐらいの時に、母と離婚して、今はどこにいるか判らなかったのです。 母と父が離婚したのは、どうやら母に原因があったらしく、母がが浮気をし、あげくのはてに多額の借金をしたことにあるようです。私はこんな母に育てられたのです。 母は薄野の飲み屋で働いていたのですが、訳のわからない男が出入りしふしだらな生活が続いていたようです。私の所には、ほとんど来ませんでした。 昨年の暮れの、しばれのきつい日でした。私は夕刊の配達を終わり家路につきました。アパートの前にきた時、私の部屋の前に60歳位の女の人が寒そうに立っていたのです。 その人は、さも言いにくそうに、父の姉だと名乗りました。とりあえず汚い部屋に入ってもらい、話しを伺いました。 その方の話しは次のようなものでした。 父は離婚してから一人暮らしをしていたが昨年の夏に病院で亡くなった。交通事故に遭い両足を骨折したが、糖尿病が悪化し、合併症を起こし、55歳で死んだ。それで死亡保険金が遺族の私に2000万円位入るというものであった。なんでも遺産相続は父と母が離婚しても、第一次的には子供がもらえるということで、私に金が入ると言うものでした。 この保険金が私の人生を狂わせることになったのです。 母は今年3月頃になり私に保険金が入ったことを知るや、再三にわたり私のアパートにくるようになったのです。私としては、母にも少しばかりの金はやろうと考えていたのですが、人間というものは不思議なもので、大金が入ると一銭でもやりたくなくなるからおかしなものです。しかも母が原因で離婚し一人寂しくこの世を去って行った父親が不憫でならず、金をせびりにくる母親に憎悪の念を持つようになったのであります。 母親からの金の要求は執拗でした。 お前を一人前にしたのは誰だ、この母さんだ、死んだ前の夫は私に何も残していかない、私にも取り分がある、半分よこせ、というものでした。 私としては お前が離婚の原因を作っておきながらどうしてそんなことをぬけぬけと言えるんだと反論しその内に激しいののしりあいになるのでした。それでもアルコールがはいっていなければ、話し合いの余地は残っていたのですが、いつでも母は酔っていたのです。 今言ったようなことが何度も何度も続き私は段々嫌気がさしておりました。心のなかではこれはどっちかが死ぬことになるなと思い始めていたのです。 今思えばその金を持って遠くに行ってしまえばこんなことにはならなかったかも知れません。 春 北海道も本格的な活動期に入り、人々の動きもきびきびし、家族連れが郊外にでるようになりました。手を繋いだ親子をみると、逆に私の気持ちは荒ぶのでした。 私はいつ結婚できるだろうか、母親の金の要求は続いているし、たとえこの大金が自由に使えたとしても、どうしていいかわからなかったのが実感です。 この頃は、母の後ろには、怪しげな男の影が憑いてまわるようになりました。 そんなある日の夕方のこと、いつものように酒に酔った母が私の部屋に入ってきたのです。後ろには40歳位の眼の細い男が立っていたのです。 「なんで人の部屋に黙って入るんだ」 「馬鹿野郎、今日は決着をつけるぞ、さあ この紙に書け、1千万円払うと」 後ろの男はただ、にたにた笑って私を見ているのです。私はそれを見て逆上しました。母親の髪の毛を掴み振り回したのです。 ギャーという悲鳴で私は一旦手を離したのです。すると母は、台所から包丁を持ち出したのです。私は後ずさりし畳の上に仰向けに倒れました。母は私をめがけてきます。咄嗟におきあがるとその包丁を奪い取りました。そのとたん私はまた尻餅をつくように倒れたのです。包丁は両手で持ったままです。そこに母が覆い被さってきたのです。母の喉に包丁が刺さり血が水道のように噴出したのです。 後はどうなったかわかりません。気がつくと石狩川の堤防をとことこ歩いておりました。 私は母に対する殺意があったのは事実ではありますが私のほうから一方的に殺したのではないことはわかってもらえたと思っています。 それにしても貧乏人が持ったこともない金を持つと、とんでもないことに発展していくことが身にしみて判りました。 母親を殺してしまったという気持ちは一生私の体からはなれないでしょう。しかしその反面 母 に対しある種の 父のリベンジ的 な気持ちが私に乗り移ってきたと自分に言い聞かせているのです。そうでなければこれから長い一生を乗り切っていけないような気がするからです。 こう考えるのは人間として間違っているのでしょうか。 今はただお裁きを待っています |
7681 | Re:冷たい風 | たかこ | 2001/11/2 02:35:44 |
記事番号7678へのコメント とてもとても、真面目なお話なのですね。 とりあえず、読ませていただいたので、わたしの意見を・・・・・、 > それにしても貧乏人が持ったこともない金を持つと、とんでもないことに発展していくことが身にしみて判りました。 母親を殺してしまったという気持ちは一生私の体からはなれないでしょう。しかしその反面 母 に対しある種の 父のリベンジ的 な気持ちが私に乗り移ってきたと自分に言い聞かせているのです。そうでなければこれから長い一生を乗り切っていけないような気がするからです。 > > こう考えるのは人間として間違っているのでしょうか。 > 間違ってるとは言い切れないのではないのでしょうか? 読む限りの環境では、そのSさんの気持ちは、わたしには想像つきません。 大変だった、という言葉では済まされないようなものだったと思います。 ただ、故意であれ、偶然であれ、人一人の人生を絶ってしまうことはよくないことです。 「父のリベンジ的 な気持ち」全てをそれで済ませる事はいけないと思いますが、そう思う事で、自らが立ち上る気持ちになるのなら、しばらくはいいのではないのでしょうか? 個人のつらさというのは、その人にしか分かりません。 だからこそ、そう思う事で、前に進めるなら・・・・・・・。 そう思わなければ前に進めないというのに、そう思う事はいけないとしてしまうと、Sさんの人生はその母親に絶たれてしまうことになります。 こういう言い方は酷いかもしれませんが、生きた人間が、死んだ人間に、足を引っ張られてはいけません!! 前向きに!! 長くなりましたが、これが私なりの感想です。 |
7695 | はじめまして | 一坪(高温多湿) E-mail | 2001/11/2 23:36:59 |
記事番号7678へのコメント 投稿ありがとうございました! うーーーん、考えさせられるお話ですね。 誰が悪いとかじゃなくて、人間の性って感じで。 勉強になりました。 |